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長野地方裁判所 昭和52年(ワ)262号 判決

《目  次》

表  題

当事者

主文

事実

第一編当事者の求めた裁判

第二編当事者の主張

第一章 請求の原因

第一 当事者

一 原告ら

二 被告ら

第二 被告平和石綿における粉じん作業の実態

第三 じん肺の病理と症状

第四 原告ら元従業員の作業歴及びじん肺罹患の経過

第五 被告平和石綿の責任

一 債務不履行責任

二 不法行為責任

第六 被告朝日石綿の責任

一 被告朝日石綿の被告平和石綿に対する支配の実態

二 被告朝日石綿の責任

第七 被告国の責任

一 国の損害賠償責任の位置づけ

二 国家賠償法上の注意義務

三 国の作為義務及び注意義務の具体的内容

四 通達からみた国の作為義務の内容

五 被告国の被告平和石綿におけるじん肺(石綿肺)防止義務

六 国の具体的な義務懈怠

七 因果関係

八 結論

第八 損害

一 原告ら元従業員の被害の実態

二 原告ら元従業員の受けた被害の重大性

三 本件請求の正当性

四 相続

五 弁護士費用

第九 結論

第二章 被告平和石綿の請求原因に対する認否及び反論

(請求原因に対する認否)

(請求原因に対する反論)

第一 安全配慮義務違反について

第二 不法行為における過失について

第三 被告平和石綿が責任を負うべき程度

第四 包括一律請求について

第三章 被告朝日石綿の請求原因に対する認否及び反論

(請求原因に対する認否)

(請求原因に対する反論)

第一 被告朝日石綿と被告平和石綿との間の取引

第二 被告朝日石綿の責任

第三 包括一律請求について

第四章 被告国の請求原因に対する認否及び反論

(請求原因に対する認否)

(請求原因に対する反論)

第一 被告国の責任について

第二 包括一律請求の不当性

第五章 抗弁

第一 帰責事由の不存在(被告平和石綿)

第二 消滅時効

第三 過失相殺

第四 損益相殺

第六章 抗弁に対する認否及び反論

第三編証拠〈省略〉

理由

第一 当事者

一原告ら

1原告ら元従業員

2相続関係

二被告ら

第二 被告平和石綿における粉じん作業について

一被告平和石綿の沿革

二被告平和石綿における粉じん作業

第三 原告ら元従業員のじん肺罹患の経過及び症状

一じん肺について

二原告ら元従業員の被告平和石綿における作業歴並びにじん肺罹患の経過及び症状

三まとめ

第四 被告平和石綿の責任

一被告平和石綿の安全配慮義務

二被告平和石綿の安全配慮義務の不履行

三因果関係

四有責性

五結論

第五 被告朝日石綿の責任

一被告平和石綿と被告朝日石綿との関係

二被告朝日石綿の責任

三因果関係

四結論

第六 被告国の責任

一被告国の損害賠償責任の法的根拠

二被告国の被告平和石綿に対する監督指導状況

三被告国の監督機関の監督権限行使の違法性

四結論

第七 消滅時効

一安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点

二本件(中島九一及び武とよ)に対する適用

第八 損害

一包括一律請求について

二慰藉料

三弁護士費用

第九 相続

第一〇 過失相殺について

第一一 損益相殺について

第一二 結論

別紙(一) 原告別認容金額一覧表(一)

別紙(二) 原告別認容金額一覧表(二)

別紙(三) 原告別請求金額一覧表(三)

別紙(四)以下

第一事件原告(以下「原告」という。)

高橋二郎

第一事件原告(以下「原告」という。)

高橋次郎

第一事件原告兼亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

松本時治

亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

伊東けさ江

亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

松本和久

亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

松本晢生

亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

塩野実雄

亡松本清美訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

松本透

亡小山貴一訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

小山きみ子

亡小山貴一訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

小山大二

亡小山貴一訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

北原よし子

亡小山貴一訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

山本武子

亡小山貴一訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

足立かつ子

第一事件原告(以下「原告」という。)

根津高嘉

第一事件原告(以下「原告」という。)

吉原松栄

第一事件原告(以下「原告」という。)

根津高三

第一事件原告(以下「原告」という。)

根津そ

第一事件原告兼亡田中由太訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

田中初男

第一事件原告兼亡田中由太訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

田中守

第一事件原告兼亡田中由太訴訟承継人第一事件原告(以下「原告」という。)

小林フミ子

第一事件原告(以下「原告」という。)

中島シヅ

第一事件原告(以下「原告」という。)

横山定子

第一事件原告(以下「原告」という。)

中島康大

第二事件原告(以下「原告」という。)

和田かつ江

右原告ら訴訟代理人弁護士

富森啓児

武田芳彦

大門嗣二

木下哲雄

松本信一

佐藤豊

林百郎

菊地一二

松村文夫

木嶋日出夫

小笠原稔

中島嘉尚

岩崎功

岩下智和

西沢仁志

竹川進一

安田寿朗

佐藤芳嗣

牛山秀樹

滝沢修一

和田清二

土田庄一

仲野麻美

第一事件被告兼第二事件被告(以下「被告」という。)

平和石綿工業株式会社

右代表者代表取締役

山本康博

右訴訟代理人弁護士

土屋一英

第一事件被告兼第二事件被告(以下「被告」という。)

朝日石綿工業株式会社

右代表者代表取締役

安部成一

右訴訟代理人弁護士

根本博美

高島信之

高後元彦

西山安彦

遠藤一義

須山仲一

右訴訟復代理人弁護士

奥山量

第一事件被告兼第二事件被告(以下「被告」という。)

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右指定代理人

岩田好二

外一六名

主文

一  被告平和石綿工業株式会社及び被告朝日石綿工業株式会社は、各自、別紙(一)原告別認容金額一覧表(一)の「原告氏名」欄記載の原告らそれぞれに対し、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告平和石綿工業株式会社は、別紙(二)原告別認容金額一欄表(二)の「原告氏名」欄記載の原告らそれぞれに対し、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  第一項記載の原告らの被告平和石綿工業株式会社及び被告朝日石綿工業株式会社に対するその余の請求並びに被告国に対する請求をいずれも棄却する。

四  第二項記載の原告らの被告平和石綿工業株式会社に対するその余の請求並びに被告朝日石綿工業株式会社及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。

五  原告和田かつ江の被告三名に対する請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、第一項記載の原告らと被告平和石綿工業株式会社及び被告朝日石綿工業株式会社との間においては右原告らに生じた費用の三分の二を右被告両名の負担とし、その余は各自の負担とし、右原告らと被告国との間においては全部右原告らの負担とし、第二項記載の原告らと被告平和石綿工業株式会社との間においては右原告らに生じた費用の三分の一を右被告の負担とし、その余は各自の負担とし、右原告らとその余の被告両名との間においては全部右原告らの負担とし、原告和田かつ江と被告三名との間においては全部右原告の負担とする。

七  この判決は、第一、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一編当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自別紙(三)の原告別請求金額一覧表記載の原告らそれぞれに対し、同表「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告平和石綿工業株式会社(以下「被告平和石綿」という。)及び被告朝日石綿工業株式会社(以下「被告朝日石綿」という。)

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告らの負担とする。

2  被告国

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告らの負担とする。

(三)  仮執行免脱宣言

第二編当事者の主張

〈以下、省略〉

理由

第一  当事者

一原告ら

1原告高橋二郎、同高橋次郎、同松本時治、松本清美、小山貴一、根津知子、根津岩子、田中元女、中島九一及び武とよがいずれも被告平和石綿と雇傭契約を締結して石綿粉じん作業に従事した者であることは、〈証拠〉によつて、前記の事実を認めることができる。

2原告ら元従業員のうち既に死亡した者と遺族原告らとの関係について

(一) 松本清美が昭和五四年一月二四日に死亡したこと、原告松本時治が松本清美の夫であり、原告伊東けさ江、同松本和久、同松本晢生、同塩野実雄及び同松本透がいずれも松本清美の子であり、他に同人の相続人がいないことは、原告らと被告ら三名との間に争いがない。

(二) 小山貴一が昭和五八年二月一七日に死亡したこと、原告小山大二、同北原よし子、同山本武子及び同足立かつ子がいずれも小山貴一の子であり、他に同人の相続人がいないことは、原告らと被告ら三名との間に争いがない。

(三) 〈証拠〉によると、根津知子が昭和五〇年三月一八日に死亡したこと、原告根津高嘉が根津知子の夫であり、原告吉原松栄及び同根津高三がいずれも根津知子の子であり、他に同人の相続人がいないことが認められる。

(四) 〈証拠〉によると、根津岩子が昭和四六年四月五日に死亡したこと、原告根津そが根津岩子の母であり、他に同人の相続人がいないことが認められる。

(五)(1) 〈証拠〉によると、田中元女が昭和四六年六月七日に死亡したこと、田中由太が田中元女の夫であり、原告田中初男、同田中守及び同小林フミ子がいずれも田中由太と田中元女との間に出生した子であり、他に同人の相続人がいないことが認められる。

(2) 田中由太が昭和五九年八月二五日に死亡したこと、右原告ら三名の他に田中由太の相続人がいないことは原告らと被告ら三名との間に争いがない。

(六) 〈証拠〉によると、中島九一が昭和四五年一〇月一二日に死亡したこと、原告中島シヅが中島九一の妻であり、原告横山定子及び同中島康大がいずれも中島九一の子であり、他に同人の相続人がいないことが認められる。

(七) 〈証拠〉によると、武とよが昭和四〇年一月二五日に死亡したこと、原告和田かつ江が武とよの子であり、他に同人の相続人がいないことが認められる。

二被告ら

1被告平和石綿が、昭和三五年九月七日石綿糸の製造を主たる目的として設立された株式会社で、現在資本金が三〇〇〇万円であること及び従業員が約九〇名であることは、原告らと被告平和石綿及び被告朝日石綿との間に争いがない。

2被告朝日石綿が、大正一三年三月四日石綿セメント製品の製造等を主たる目的として設立された株式会社で、資本金二三億四〇〇〇万円、従業員数約二〇〇〇名の我国石綿業界有数の企業であること、被告朝日石綿が被告平和石綿の株式の四〇パーセントを保有し、自社の取締役を被告平和石綿の取締役、監査役として派遣していることは、原告らと被告朝日石綿との間に争いがない。

3被告国が、労働条件の向上及び労働者の保護並びに労働者の安全及び衛生の確保に関する行政事務及び事業を遂行する責任を負う行政機関として労働省を設置し、また労働省の地方支分局として都道府県労働基準局及び労働基準監督署を設置して労基法、労安法等に基づく事務を行わせているものであることは、原告らと被告国との間に争いがない。

第二  被告平和石綿における粉じん作業について

〈証拠〉並びに検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

一被告平和石綿の沿革

(一)  被告平和石綿設立に至る経緯

現在被告平和石綿の代表取締役の地位にある山本康博(山本社長)は、昭和二四年四月ころ、長野市川中島町御厨一八三三番地において宮沢敏夫所有の物置二棟(約二〇ないし三〇坪位)を借用して山本特紡所を開設し、綿、絹、羊毛等の紡績加工を始めた。従業員は一〇名前後であつた。

山本康博は、昭和三二年四月ころから徐々に仕事を石綿の紡績加工に切換えた。当時の石綿紡績加工の設備は、梳綿機二台、精紡機、合撚機、反毛機各一台であり、従業員は二〇名足らずであつた。

その後、山本康博によつて山本特紡所の法人化が図られ、被告平和石綿が昭和三五年九月七日石綿糸の製造を主たる目的とする株式会社として設立され、山本康博がその代表取締役に就任した。設立当初の資本金は一〇〇万円であり、従業員は約二五名であつた。

(二)  旧工場時代

被告平和石綿は、昭和三五年一一月ころ、表記肩書地において工場一棟(以下「旧工場」という。)の新設に着手し、昭和三六年六月ころから同工場での操業を開始した。当時の製造設備は、攪拌機、反毛機各一台、梳綿機四台、精紡機三台、合撚機四台、仕上機、粉ふるい機各一台であつた。

その後、被告平和石綿は、昭和三八年、三九年の二度にわたつて南北に下屋をはり出して旧工場棟を拡張した。

(三)  混綿室の増築及び織布工場の建設

被告平和石綿は、昭和四一年八月ころ、旧工場棟の西側を拡張して混綿室を増築し、他方、昭和四二年七月ころ、旧工場の南側に新たに織布工場(以下「織布工場」という。)の建設に着手し、昭和四三年四月ころ完成と同時に操業を開始し、従前の石綿糸のほかに石綿織布の製造も行うようになつた。右の混綿室の増築や織布工場の建設に伴つて機械が増設され、従業員も六〇名前後になつた。

(四)  新工場の建設等

被告平和石綿は、昭和四五年三月ころ、織布工場に合撚工場を増築するとともに旧工場の西側に新たに梳綿、精紡工場一棟(以下「新工場」という。)のほか、事務所、寮の建設に着手し、昭和四六年三月ころ完成させた。右新工場の建設に伴つて機械が増設され、資本金も二〇〇〇万円に増資され、従業員も八〇名前後になつた。

その後、同被告は、昭和四八年八月ころ、長野県更級郡大岡村上中山地籍において石綿加工を行う分工場として大岡工場を設置した。

二被告平和石綿における粉じん作業

1作業の種類

被告平和石綿における作業は、原料の石綿、スフから石綿糸、石綿布、パッキン類等の石綿製品を製造する工程で以下のように分かれる。

(一) 混綿工程

石綿とスフ等を何層かに積み重ね混合(調合)する作業である。

原料の石綿、スフ、落綿、しの屑を床上で混ぜ、混ぜたものを手でちぎつて攪拌機に入れて攪拌し、攪拌後床の上に落ちたものを「ぼて」と称する容器の中に入れて反毛機の所まで運び、反毛機へ入れるべく反毛機の入口にあるスダレの上に並べ、反毛機から出てきたものを「ぼて」の中に入れて梳綿の作業場に運ぶという方法がとられていた。そして、右の工程のうち、手作業である、四種類の原料を混ぜるとき、混ぜたものを攪拌機に入れるとき攪拌機から取出して反毛機の所まで運ぶとき、反毛機に入れるとき、反毛機から取出して梳綿の作業場に運ぶときに粉じんが発生する。

昭和四四年ころに至り、攪拌機と反毛機がベルトコンベアで連結され、更に昭和四五年ころ両機が結合されたものとなり、また昭和五一年には梳綿機に材料をパイプで送る装置が設置され、その限りで手作業の部分が無くなつた。

(二) 梳綿工程

混合綿(調合綿)をスダレ(ラチス)に平らにのばし、梳綿機に入れて「篠」と呼ばれる撚りのかかつていない糸状のものにする作業である。

(三) 精紡工程

篠を精紡機に入れて撚をかけて単糸にする作業である。

(四) 合撚工程

単糸を二ないし五本位撚糸機に入れて撚り合わせる作業で石綿糸が作られる。

(五) 仕上工程

石綿糸の仕上作業であり、この作業の後石綿糸はそのまま製品として出荷されるか、織布等加工製品の原料となる。

(六) 織布等加工の工程

石綿糸を紡織してクロス、パッキン類を加工する作業である。

(七) 粉ふるい

製造工程で出る落綿を防虫網程度の網の目の粉ふるい機にかけて繊維の多少でも残つているものと粉とに区別し、前者を再生原料とする作業である。

2いずれの作業も石綿粉じんの発散するものであるが、右(一)ないし(六)の工程中、その程度は精紡より前工程ほど発じん量は多く、また右(七)の粉ふるいの作業も発じん量は多かつた。

なお、他に機械の保全作業があり、機械の組立、修理等を行うものであるが、単に粉じん作業現場で行うことにより粉じんに曝露するばかりでなく、梳綿機の磨針のために針の間にたまつた粉を取除いたり、機械の清掃をする際、粉じんが発生し、粉じんに曝露した。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

第三  原告ら元従業員のじん肺罹患の経過及び症状

一じん肺について

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1じん肺とは、粉じんを吸入することによつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病である。この線維増殖とは、粉じんのために肺の組織が固い膠原繊維に置換られることをいいこれによつて肺胞部分が埋められ、肺の機能であるガス交換が低下する。

2病理

呼吸器は、鼻腔からはじまり、咽頭、喉頭、気管支、細気管支を経て肺胞に至る一連の器官で、主として呼吸作用を営む。肺胞は、左右肺で約七億個にも達し、空気中の酸素を摂取し、血液中の二酸化炭素を排泄する機能を営んでいる。

鼻腔から吸入された粉じんは、途中の気管支粘膜に付着したり、また肺胞内に到達したものも喀痰として排泄されるが、吸入量が多いと肺胞内に沈着する。肺胞内に沈着した粉じんは、喰細胞に取込まれ、リンパ腺に運び込まれて蓄積されるが、粉じんの害性によりこの細胞は次第に死滅し、線維化を生ずる。そして、その部分の本来の機能が失われ、吸入じんはリンパ腺に入らず、粉じんは肺胞内に蓄積されて粉じん結節は大きくなり、更に融合して塊状巣となる。粉じん変化の進行に伴つて肺胞壁の破壊が起り、肺気腫の状態となり、気管支や血管の狭窄、閉窄によつて肺の換気、血流障害が招来される。

3症状と合併症

(一) 自覚症状としては呼吸困難、心悸高進、咳嗽、喀痰、肩こり、背胸痛、含息欠亡、倦怠感等がある。呼吸困難は、初めは歩行時特に登高時にのみ起るが、重症になると安静時にも起る。

他覚的な症状としては顔色悪く、灰蒼白更には羸痩著明となり、重症になるとチアノーゼが現れる。

(二) 合併症としては、気管支炎、急性肺炎、肋膜炎、肺気腫、特発性気胸、気管支拡張症、肺結核等がある(全身疾患性)。

死亡の原因は、肺変化の進行に伴う心機能の低下で、個人差はあるものの、大量の粉じんを短期的に吸入した場合には一〇年以内に起る。合併症のうち、最も重大なものは肺結核であり、症状の悪化、治療の困難性を伴つてくる。また、肺炎も死亡の原因となることが多い。

4経過と治療方法

肺に生じた線維増殖は、粉じん曝露から離れた後も進行する(慢性進行性)とともに、一旦形成された線維増殖を停止させ、正常組織に復元する根本的治療方法は未だ確立されていない(不可逆性)。

治療の第一歩は、粉じん職場を離脱させることであり、次いで吸入粉じんをできるだけ喀出させるとともに乏酸素血症を改善し、体の消耗を防ぐことである。場合によつては、一時的療法として、肺機能の維持改善のために、活動性肺結核の合併等があつて安静が必要な場合のほかは、歩行を中心とした適度な運動が考えられる。理学的療法としては、呼吸不全の防止あるいは改善のために、腹式呼吸を中心とした呼吸訓練法、体位排たん法、運動療法等が考えられる。薬物療法としては対症的にすぎないが、主として気道の拡張浄化による呼吸機能の改善と気道感染対策のために、気管支拡張剤、喀痰粘液溶解剤の併用、抗生物質の投与が考えられる。合併症についてはそれぞれの独立疾患の際の治療に準じて行われれることとなる。

5予防方法

第一に、発じんの防止のために、生産工程や作業方法の改良、原材料の代替使用がなされるべきである。第二に、粉じんの飛散抑制のために、作業方法の改良(例えば鉱山における湿式さく岩機、注水しながらの研磨作業等の湿式工法)、設備の密閉、生産工程の隔離、局所排気装置の設置、床面の散水や清掃方法についての工夫等がなされるべきである。第三に、粉じん曝露の程度を軽減するために、作業時間の調整、作業強度の軽減がなされるべきである。第四に、作業従事者の粉じん吸入の防止のために、防じんマスク等の呼吸保護具の着用がなされるべきである。第五に、じん肺発症の早期発見、早期治療のために、定期的な健康診断がなされるべきであり、じん肺に罹患していることが判明した場合には、直ちに粉じん作業からの離脱がなされるべきである。第六に、作業従事者自身による粉じん吸入の防止軽減、健康管理がなされるために、使用者の作業従事者に対するじん肺教育が必要である。

6石綿肺の特徴

石綿肺は、繊維状の珪酸化合物である石綿じんを吸入することにより発生する特殊な職業性じん肺症である。石綿曝露作業としては、石綿鉱山における岩石の採掘、搬出、粉砕の作業、石綿紡繊製品などの石綿製品製造工程において石綿粉じん曝露を受ける作業、石綿の吹付けなどの石綿又は石綿製品取扱作業などがある。

石綿肺の小線維化巣は長さ五ミクロン以上、時には一〇〇ミクロンに及ぶ長大な粉じんの吸入によつて閉塞性細気管支炎が起り、そのための小無肺性の〇・五ないし二ミリメートル大の不整形小線維化巣で肺の前後上下に比較的平等に分布する。エックス線写真ではけい肺にみるような結節のための粒状陰影と異なり、明らかな粒状影を示さず、血管影の修飾された形又は肺紋理の増強像が強く、線状ないしこれらが集まつて構成する網目状でいわゆる異常線状影を呈する。また、エックス線写真像が比較的軽くても、両側肺下部に微細な捻髪音の所見が認められたり、進行するにつれて種々の湿性ラ音の聴診所見が認められ、更には、エックス線所見が少ないにもかかわらず、肺機能障害が認められる点でけい肺と異なる。

自覚症状としては、労作時の呼吸困難が最も重要な所見であり、進行すると乾性咳嗽が必発する。喀痰は粘液性で排出が困難であるが、しばしば感染の合併により膿性痰、細気管支拡張性の変化により時には血痰がみられる。

石綿肺の主要な肺機能障害は、肺胞毛細管ブロックによるガス拡散障害であり、病変が高度になれば換気障害が起る。気管支炎、肺炎の合併頻度は高く、炎症が進むと下肺野に気管支拡張が強く現われ、また炎症により肋膜炎を起しやすく、これが進むと肋膜や横隔膜に種々の形と広がりの石灰沈着像がみられる。合併症としては、特に肺癌や悪性中皮腫などの悪性腫瘍があるのも一つの特徴である。

7じん肺特に石綿肺問題の沿革について

(一) けい肺

外国では、鉱夫や石工のけい肺についてローマ時代から記述があり、組織的な研究は一八九〇年代に南阿の金山に始まり、イギリス、ドイツ、アメリカを中心にすすめられ、一九三〇年には最も重大な職業病として国際労働機関主催の国際けい肺会議が開かれた。我国では延宝年間(一六七三年ころ)から「よろけ」として知られ、第二次世界大戦前において一部に研究者はいたが、第二次世界大戦後組織的な取組みが始つた。昭和二四年ころ、けい肺対策として労働者の全国検診が実施され、患者の発見、補償が行われるようになり、昭和三〇年「けい肺及び外傷性せき髄に関する特別保護法(同年法律第九一号)」の制定により療養期間が通常の職業病の三年に対して五年に延長され、事業主に対してけい肺検診の義務付がされた。

(二) 石綿肺

外国では一九〇〇年イギリスのMurrayにより死亡例が報告され、一九三〇年前後ころからイギリスのみならず欧米において多数の研究報告が行われ、その疫学、臨床像及び病理像が次第に判明するに至つた。

我国では、昭和一二年から昭和一五年にわたり、大阪地方の石綿工場において内務省社会局によつて調査がなされたが、その後しばらく研究が行われなかつた。昭和二七年ころ宝来博士や吉貝博士によつて調査研究がなされ、昭和三〇年ころ宝来博士らによつて石綿肺症の剖検例が初めて報告された。昭和三一年には労働省において労働衛生試験研究として石綿肺の診断基準に関する研究がとりあげられ、共同研究が進められて石綿肺の臨床像及び病理像が次第に明らかとなつた。そして、昭和三五年には対象をけい肺に限らず、石綿肺など広く鉱物性粉じんによるじん肺に拡げた労働者保護法としてじん肺法(同年法律第三〇号)が制定された。同法は、その五条において「使用者及び粉じん作業に従事する労働者は、じん肺の予防に関し、労働基準法及び鉱山保安法(昭和二四年法律第七〇号)の規定によるほか、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならない。」と規定し、その六条において「使用者は、労働基準法及び鉱山保安法の規定によるほか、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならない。」と規定するほか、その八条に定期健康診断、その九条に定期外健康診断、その二一条に作業の転換、その二三条に療養に関する各規定を置き、じん肺の予防と健康管理の措置を図つていた。また、労働基準法(昭和二二年法律第四九号、ただし昭和四七年法律第五七号による改正前のもの、旧労基法。)は、一般的なものとしてその四二条において使用者に対し、粉じん等による危害を防止するために必要な措置を講ずべき義務を規定し、その四三条において使用者に対し、建設物について労働者の健康、風紀及び生命の保持に必要な措置を講ずべき義務を規定し、その四四条において危害の防止に必要な事項についての労働者の遵守義務を規定し、その五二条において使用者に対し、定期健康診断を実施すべき義務を規定するなどし、更に就業制限に関係するものとして、その五一条において使用者に対し病者の就業禁止を規定し、その三六条において使用者に対し労働時間の延長制限特に有害な業務についての延長制限を規定し、その六三条において使用者に対し、危険有害業務について年少者、女子の就業制限を規定するなどしていた。

二原告ら元従業員の被告平和石綿における作業歴並びにじん肺罹患の経過及び症状

1原告高橋二郎

〈証拠〉並びに東長野病院に対する調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 原告高橋二郎(大正一四年九月一二日生)は、昭和一七年一一月ころから昭和二四年ころまで日本国有鉄道に勤務した後、青果商を営み、昭和三二年ころから、青果商のかたわら山本特紡所及び被告平和石綿(同被告設立後)から機械の組立、修理等の保全作業を請負つていたが、昭和三六年二月同被告に正式に入社し、機械の保全作業のほか混綿等の作業にも従事していた。昭和四一年から昭和四二年六月二一日ころまで工場長の役職にあつた。

同原告は、両側慢性副鼻腔炎手術のため昭和四一年五月ころから一か月間休職したほか、急性肺炎のため昭和四二年七月ころから同年一一月ころまで、肺結核、急性気管支炎のため昭和四三年一月ころから昭和四四年六月ころまで、左上腕挫傷等のため昭和四六年一〇月中旬ころから昭和四七年三月まで、肋間神経痛、肝機能障害のため昭和五〇年五月上旬ころから同年八月中旬ころまで休職したが、更にじん肺のため昭和五〇年一二月中旬ころから休職し、昭和五一年五月三一日正式に退職した。

(二) 同原告は、同被告入社前においては健康上別段問題はなかつたが、昭和三九年一月急性肺炎に罹患し、昭和四二年六月右疾病のため入院し、昭和四三年一月肺結核、急性気管支炎に罹患し、昭和四五年七月気管支肺炎の治療を受け、同年一二月気管支拡張症のため入院し、昭和五〇年五月肋間神経痛、肝機能障害の治療を受けた。

同原告は、じん肺に罹患し、昭和四四年一一月一三日のじん肺健康診断での胸部に関する臨床検査の際、呼吸困難、咳嗽、喀痰、胸痛の自覚症状を訴え、昭和四六年一二月二四日のじん肺健康診断での胸部エックス線撮影の結果エックス線写真像が第一型で、更に昭和四七年三月一一日の心肺機能検査の結果により第二型のじん肺による軽度の心肺機能障害の症状があると判定され、同年一一月一日付でじん肺管理区分管理二と決定された。(じん肺法((昭和三五年法律第三〇号))四条は、昭和五二年法律第七六号により改正されているところ((改正法の施行は昭和五三年三月三一日))、改正前の同法四条は管理一から同四までの「健康管理の区分」の決定を規定し、改正された四条は管理一から同四までの「じん肺管理区分」の決定を規定している。したがつて、旧法による区分の決定は健康管理の区分の決定と表現すべきものであるが、改正法施行にあたり昭和五三年政令第三三号をもつて、旧法による健康管理の区分の決定は別紙(七)の区分に応じ、それぞれ新法によるじん肺管理区分の決定とみなされたので、右法改正の前後を区別せず「じん肺管理区分」の表現で統一することとする。)しかし、被告平和石綿は、同原告に対する右決定の通知を怠つた。同原告は、昭和四七年九月ころ、胸が詰まり、寝汗や喀痰の自覚症状があり、昭和五〇年九月一日のじん肺健康診断での胸部エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型で胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅱ度)、咳嗽、喀痰(白色)の自覚症状により第一型の軽度の症状が認められたにもかかわらず、同被告による心肺機能検査の手続は懈怠された。同原告は、昭和五〇年九月ころ、興奮したとき胸がしめつけられて声が出ない状態となり、高城医院を経て同年一一月東長野病院でじん肺の診断を受けたところ、胸部エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅳ度)、歩行時の心悸高進の自覚症状、呼吸異常等他覚的所見により第二型の中程度のじん肺の症状があり、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和五一年三月一〇日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

同原告は、同年九月ころまで東長野病院でじん肺の治療を受けていたが、昭和五一年一一月ころから高城医院へ通院し、酸素吸入、投薬、注射等の治療を受け、今日に至つている。なお、同原告は、年に一回の割合で東長野病院でじん肺の健康診断を受けているところ、前記改正じん肺法(以下「新じん肺法」という。)施行まではいずれもじん肺管理区分(旧法にいう健康管理の区分、以下新じん肺法の区分と区別する必要のあるときは「旧じん肺管理区分」という。)管理四の症状を示していたが、新じん肺法施行後の昭和五四年から昭和五七年までの検査結果は、いずれも胸部エックス線写真撮影の結果胸部エックス線写真像が第二型で、肺機能検査の結果じん肺による肺機能障害の症状にとどまり、じん肺による著しい肺機能の障害の症状が認められず、じん肺管理区分管理三の症状を示していた。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

2原告高橋次郎

〈証拠〉及び前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 原告高橋次郎(大正二年二月一二日生)は、昭和七年ころから別珍工場で紡糸作業、昭和一九年ころから名古屋三菱航空機で旋盤作業、昭和二〇年ころから一年半の間九州の三井田川炭鉱で採炭作業、昭和二三年から三年間黒部ダムで坑内せん坑作業の各粉じん作業に順次従事した後、農作業をするかたわら土木作業に従事し、昭和三七年三月二四日被告平和石綿に入社し、梳綿作業に従事した。

同原告は、昭和四三年一二月同被告を一旦退職した後、昭和四四年三月再び入社したが、その後は体の具合が悪くなつて時々休職するようになり、じん肺のため昭和四五年三月実施の後記じん肺健康診断の後休職し、同年八月二〇日正式に退職した。

(二) 同原告は、同被告入社前においては健康上別段問題はなかつたが、昭和四三年夏ころから咳が出、昭和四四年三月ころから高城医院で通院治療を受けたが、軽快に至らず、かえつて同年暮ころから咳、痰が激しくなり、気管が詰まつてしまうほど苦しみ、昭和四五年二月ころから更に胸痛にも苦しむようになつた。同原告は、昭和四五年三月一八日東長野病院でじん肺の診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第四型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅲ度)、歩行時の心悸高進、咳嗽、喀痰、胸痛の自覚症状、貧血、呼吸異常等の他覚的所見により第二型の中程度のじん肺の症状があり、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和四五年八月一〇日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

同原告は、その後も高城医院へ通院してじん肺の治療を受けているほか、昭和四八年から年一回の割合で東長野病院でじん肺の健康診断を受けている。右じん肺健康診断によると、新じん肺法施行まではいずれも旧じん肺管理区分管理四の症状を示していたが、新じん肺法施行後の昭和五五年から昭和五七年まではいずれも胸部エックス線写真撮影の結果胸部エックス線写真像が第二型で、肺機能検査の結果じん肺による肺機能障害の症状にとどまり、じん肺による著しい肺機能の障害の症状が認められず、じん肺管理区分管理三の症状を示していた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3原告松本時治

〈証拠〉及び前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 原告松本時治(明治四〇年七月一日生)は、農作業に従事した後、昭和三六年八月六日被告平和石綿に入社し、混綿作業に従事し、昭和四六年九月三〇日定年退職して嘱託として再採用され、引続いて同一の作業に従事し、昭和四九年一二月三〇日退職した。

(二) 同原告は、同被告入社前において健康上別に問題はなかつたが、昭和四二年ころから疲労感を覚え、昭和四五年一月風邪で二週間位寝込み病気欠勤したが、その後は風邪をひき易くなつた。

同原告は、じん肺のため昭和四六年一〇月ころ、倦怠感、頭重感、息切れ等の自覚症状を覚え、昭和四六年一二月二四日のじん肺健康診断での胸部エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型で、更に昭和四七年三月四日の心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があると判定され、昭和四七年一一月一日付でじん肺管理区分管理四と決定されたが、同被告から同原告に対する右決定の通知は懈怠された。同原告は、昭和四七年四月風邪のため身体中が痛み、同年六月寝汗をかき、昭和四九年春ころには息切れにより階段の昇降が苦しくなつた。同原告は、昭和四七年一一月二七日、右の判定結果に驚いた同被告の指示で東長野病院においてじん肺の健康診断を受けたところ、胸部エックス線写真撮影の結果は前回と同様であつたが、心肺機能検査の結果は第二型のじん肺による軽度の心肺機能障害の症状となつた。右検査結果も同被告から同原告に知らされなかつた。同原告は、昭和五〇年六月東長野病院の診断を受けた際、既に昭和四七年一一月にじん肺管理区分管理四の判定を受けていることを知り、昭和五〇年九月同病院でじん肺の健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果歩行時心悸高進、咳嗽、喀痰の自覚症状により第二型の中程度のじん肺の症状があつて、じん肺に罹患していることが再確認された。

同原告は、その後も東長野病院へ毎月二回位通院して鎮咳去痰剤の投与を受けて治療を受けているほか、年一回位の割合で同病院でじん肺の健康診断を受けている。右じん肺健康診断によると、新じん肺法施行まではいずれも旧じん肺管理区分管理四の症状を示していたが、新じん肺法施行後の昭和五四年から昭和五七年まで、胸部エックス線写真撮影の結果はいずれも胸部エックス線写真像が第一型であるが、肺機能検査の結果は、昭和五四年度の二回目がじん肺による著しい肺機能の障害の症状があつたのを除き、いずれもじん肺による肺機能の障害の症状にとどまり、じん肺による著しい肺機能の障害の症状が認められず、昭和五四年度の二回目を除きじん肺管理区分管理二の症状を示していた。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

4松本清美

〈証拠〉及び前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 松本清美(明治四四年一一月二四日生)は、農作業に従事した後、昭和三六年八月六日被告平和石綿に入社し、精紡作業に従事し、昭和四八年五月脳動脈硬化症、気管支拡張症のため一週間位休職するまで病気欠勤はなく、昭和四七年九月三〇日定年退職して嘱託として再採用され、引続いて同一の作業に従事し、昭和四九年からは欠勤がちとなり、同年三月三〇日退職した。

(二) 同人は、同被告入社前健康上別段問題はなかつたが、昭和四六年一月風邪の症状があり高城医院でじん肺の疑があると診断されたが、その翌日東長野病院でじん肺の所見なしと診断された。同人は、昭和四七年九月一一日のじん肺健康診断でエックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型で要心肺機能検査と判定されたにもかかわらず、同被告は右検査を受けさせるのを怠つた。松本清美は、昭和四九年四月一日高見沢医院で診療を受けたが、咳、喀痰、呼吸困難等により一睡もできなかつたので、同月五日厚生連篠ノ井病院に三週間位入院し、その後通院して治療を受けていた。同人は、昭和五〇年三月東長野病院でじん肺の健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第三型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅳ度)、歩行時心悸高進、咳嗽、喀痰の自覚症状、呼吸異常等の他覚的所見により第二型の中程度のじん肺の症状があつて、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により同年五月八日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、その後も同病院でじん肺の治療を受け、同年七月高城医院に転医し、昭和五一年一月から同医院に入院していたが、血痰が出たり、食事がとれずに徐々に体が衰弱して重篤になり、同年七月二七日意識不明の状態で厚生連篠ノ井病院に入院したが、咳が二週間以上も止まらず、呼吸困難のためチアノーゼの状態となり、苦痛から逃れるべく投薬により死なせてくれと哀願するまでに苦しみ、昭和五四年一月二五日じん肺により心肺不全を生じて死亡した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

5小山貴一

〈証拠〉及び前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 小山貴一(明治四四年一二月二七日生)は、昭和二年ころ長野農工銀行(後に日本勧業銀行に吸収合併された。)に入社し、昭和二二年ころ同銀行を退職して衣料品菓子雑貨類等の行商を営み、昭和三四年ころから金吉木工で雑役に従事した後、昭和三六年一一月二六日被告平和石綿に入社し、梳綿、粉ふるい、混綿の作業に従事し、昭和四五年一月から同年五月ころまで後記疾病のため休職し、その後粉ふるい作業に従事し、同年八月三〇日ころ退職した。

(二) 同人は、同被告入社前から、左足先天性脱臼と右足の交通事故による後遺症の障害を有していたものの、呼吸器系統については特段の障害はなかつたが、昭和四四年ころから咳、痰、息切れの自覚症状があり、昭和四五年一月から小野医院で気管支炎の病名で通院治療を受けたにもかかわらず、症状は軽快せず、咳、息切れに苦しんでいた。同人は、昭和五一年に本件被害が表面化して、じん肺健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第三型で、心肺機能検査の結果第二型のじん肺による中程度の心肺機能障害の症状があり、更に結核精密検査の結果病勢の進行のおそれがある肺結核がないと判定され、じん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和五二年三月一四日付でじん肺管理区分管理三と決定された。同人は、昭和五二年から高城医院に転医し、通院を受けていたが、昭和五二年七月二六日東長野病院でじん肺の診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像は従前同様第三型であつたが、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能の障害の症状があり、臨床検査結果第二型の中程度のじん肺の症状があつて、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により同年九月二六日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、昭和五三年二月三日ころ、肺炎を併発し、高城医院に入院したが、咳、痰、息切れ、呼吸困難の症状が続き、投薬、注射、酸素吸入等の治療が施されたが、症状は軽快せず、昭和五八年二月一七日じん肺により、肺炎を併発して死亡した。

なお、同人は昭和五四年から昭和五七年まで年一回の割合で東長野病院でじん肺の健康診断を受けていたが、いずれもじん肺管理区分管理四の症状を示していた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

6根津知子

〈証拠〉並びに前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 根津知子(昭和四年六月二四日生)は、農作業に従事した後、昭和三三年ころ山本特紡所に入所し、精紡作業に従事し、昭和三五年九月七日被告平和石綿の設立とともに同被告に入社し、同作業に従事していたが、昭和三九年三月ころ退職し、同年九月ころ再度同被告に入社し、昭和四一年八月ころ退職した。同人は、その後、昭和四三年一月ころまで小山鋳造株式会社(変更後の商号株式会社小山)に勤務した後、昭和四四年二月ころ再度同被告に入社し、精紡作業に従事していたが、昭和四六年四月五日姉の根津岩子の死亡を理由に休職し、同年六月退職した。

(二) 根津知子は、山本特紡所入所前には健康上別に問題はなかつたが、昭和三六年ころ慢性気管支炎の病名で治療を受け、昭和四六年六月ころ歩行時に息切れの症状を訴え、堀医院へ通院、高城医院へ入、通院して治療を受けたが、軽快せず血痰を吐く状態となり、茂木医院の指示により昭和四九年八月二七日東長野病院で受診し高血圧、気管支喘息との診断を受け、更に同年九月同病院でじん肺の健康診断を受けたところ、エックス写真撮影の結果エックス線写真像は第三型で、心肺機能検査の結果第三型の高度の心肺機能障害の症状があり、胸部臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅴ度)、安静時心悸高進、咳嗽、喀痰の自覚症状、るいそう、脈拍異常、呼吸異常等の他覚的所見により第三型のじん肺による重度の症状があつて、結核精密検査の結果病勢の進行のおそれのある不活動性の肺結核があると判定され、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和五〇年三月四日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、同病院で通院治療を受け、昭和五〇年三月四日呼吸困難を訴え同病院に入院したが、同月一一日ころ血痰を吐いて急速に症状が悪化し、同月一八日じん肺により死亡した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

7根津岩子

〈証拠〉並びに前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 根津岩子(昭和一〇年四月一日生)は、農作業に従事した後、昭和三二年ころ山本特紡所に入所し、梳綿作業に従事し、昭和三五年九月七日被告平和石綿の設立とともに同被告に入社し、同作業に従事していた。昭和四一年一月末ころ、慢性気管支炎のため一か月間休職し、同年秋ころ一旦退職し、一か月間前記小山鋳造株式会社に入社し中子造型作業に従事したものの、同年一二月再び同被告に入社し、梳綿作業に従事し、昭和四四年五月ころ気管支拡張症、慢性肝炎のため一か月間休職し、同年一一月ころ気管支喘息のため二週間休職し、昭和四五年四月上旬ころ退職した。

(二) 同人は、山本特紡所入所前においては健康上特に問題はなかつたが、昭和四一年一月ころ咳、痰などの自覚症状により鈴木医院で慢性気管支炎の診断を受け、昭和四二年ころから咳が止まらず、昭和四四年になつて呼吸困難に苦しみ、高城医院で気管支拡張症、気管支喘息の診断を受けて通院治療し、更に昭和四五年四月同被告退社直後に同医院に入院して治療を受けたが、症状は軽快せず、呼吸困難、血痰の症状があつて食事もとれず不眠状態となり、昭和四六年四月五日じん肺により死亡した。なお、同年一〇月一五日付で業務上疾病の決定を受けた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

8田中元女

〈証拠〉並びに前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 田中元女(明治四三年一一月八日生)は、昭和九年一二月婚姻、家事と農作業に従事した後、昭和三七年三月二三日ころ被告平和石綿に入社し、混綿、梳綿、精紡等の作業に従事し、昭和四二年五月ころ高城医院入院のため休職し、昭和四三年二月二〇日退職した。

(二) 同人は、同被告入社前においては昭和五年ころ肋膜炎を患つたことがあるものの、その後健康上問題もなかつたが、昭和三九年初めころから体の具合が悪くなり、風邪をひいても治りにくい状態となり、気管支喘息、気管支拡張症の病名により鈴木医院及び草間医院で通院治療を受けていた。しかし、田中元女は軽快せず、咳、喀痰、呼吸困難、胸痛、歩行困難の自覚症状を訴え、身体もやせ衰えて昭和四二年五月ころ高城医院に入院したが、やはり軽快せず、昭和四四年七月ころ同医院の指示で東長野病院に転入院した。同人は、同病院で昭和四五年四月八日ころじん肺の健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス写真像は第一型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅳ度)、歩行時心悸高進、咳嗽、喀痰の自覚症状、呼吸異常等の他覚的所見により第三型のじん肺による高度の症状があつて、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和四六年六月九日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、同年四月ころから呼吸困難の症状が激しく、幻覚症状が出て重篤となり、同年五月中旬ころ症状は更に悪化し、同年六月七日気管支拡張症、じん肺によつて生じた心肺不全により死亡した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

9中島九一

〈証拠〉並びに前記調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 中島九一(昭和二年二月三日生)は、第二次世界大戦後満州から復員し、自動車のタイヤ修理、電気通信共済組合にてパンの製造、配達、電話局の仕事に従事した後、昭和三六年四月二日被告平和石綿に入社し、梳綿作業に従事し、昭和四二年一月末ころ出血性胃潰瘍の手術により高城医院に入院のため二か月間休職し、更に同年七月五日ころ作業中に全治一か月を要する左示指切断創の事故にあつて療養のため休職し、同年八月二六日退職した。同人は、その後同年一一月信州光学株式会社に入社し、砂掛作業に従事していたが、体の具合が悪く欠勤がちで、昭和四四年一〇月退職した。

(二) 同人は、同被告入社前においては健康上別段問題はなかつたが、昭和三八年ころ疲労を訴えるようになり、昭和三九年末ころ風邪をひき易くなり、昭和四三年三月ころ小野沢医院で通院治療を受けたが、風邪の症状に疑問がもたれたものの原因が判明せず県職員病院に入院して治療を受け、更に昭和四四年末ころ高城医院で入院治療を受けたが症状が軽快しなかつた。同人は、同医院の紹介で昭和四五年三月一八日東長野病院でじん肺の健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像は第三型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅳ度)、安静時心悸高進、咳嗽、喀痰、胸痛の自覚症状、貧血、呼吸異常(両胸中にラ音)、心雑音等の他覚的所見により第三型のじん肺による高度の症状があつて、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和四五年八月一〇日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、右診断後も引続き高城医院で入院治療を受けていたが、同年五月ころ県立須坂病院へ転入院し、更に同年九月ころ県職員病院へ転入院して治療を受けたが、症状は悪化する一方であつて起上ることもできず、一日中酸素吸入をする状態が続くようになり、同年一〇月一二日じん肺により死亡した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

10武とよ

〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 武とよ(大正四年三月一〇日生)は、日雇作業等に従事した後、昭和二七年、二八年ころ、山本特紡所に入所し、毛糸の紡績作業に従事し、昭和三二年四月ころ同所が業務を石綿の紡績加工に切換えたのに伴つて石綿の精紡作業に従事し、昭和三五年九月七日の被告平和石綿の設立とともに同被告に入社し、同一作業に従事していた。武とよは、昭和三八年四月から肺結核のため休職し、同年九月ころ東長野病院に入院すると同時に退職した。

(二) 同人は、山本特紡所入所前において健康上特に問題はなかつたが、昭和四六年ころ風邪をひき易くなり、咳、痰、胸痛等の自覚症状を訴えるようになり、昭和三八年四月酒井医院にて肺結核の診断を受けて通院治療したが、症状は軽快せず、同年夏ころ飯塚医院でじん肺の診断を受け、同医院の指示で同年九月一七日東長野病院でじん肺の健康診断を受けたところ、エックス線写真撮影の結果エックス線写真像は第二型で、心肺機能検査の結果第三型のじん肺による高度の心肺機能障害の症状があり、胸部に関する臨床検査の結果呼吸困難(第Ⅲ度)、歩行時心悸高進、咳嗽、胸痛の自覚症状、るいそう、呼吸異常等の他覚的所見により第三型のじん肺による高度の症状があつて、重度のじん肺に罹患していることが判明し、個人申請により昭和三九年二月七日付でじん肺管理区分管理四と決定された。同人は、直ちに同病院へ入院して治療を受け、昭和三八年末ころ同病院の寒さに対する施設が不備であつたのと、一旦病状が落着いたため自宅療養に切換えたが、病状が悪化し、呼吸困難等の苦痛により剃刀で手首を切り自殺を図ろうとしたことから昭和三九年七月再び同病院に入院し、酸素吸入、投薬、注射等の治療を受けた。しかし、同人は、病状が悪化の一方をたどり、呼吸困難で時には身体が紫色に変じ、昭和四〇年一月二五日じん肺により死亡した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三前記(第二、第三の一、二)認定の事実と弁論の全趣旨を総合すると、原告ら元従業員一〇名は、いずれも被告平和石綿における粉じん作業によつて石綿粉じんに曝露し、石綿粉じんを吸入してじん肺に罹患したこと、及びそのうち七名の者が死亡し、その余の者も重篤な症状に陥つたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第四  被告平和石綿の責任

一被告平和石綿の安全配慮義務

1雇傭契約において労働者は使用者の指揮命令に従つて労務を給付すべき義務を負い、使用者がこれに対応して労働者に対し報酬を支払うべき義務を負う。しかしながら、使用者の義務は右の給付義務にとどまるものではなく、使用者は、労働者に対し、信義則上、雇傭契約の付随義務として労務給付のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又は労働者が使用者の指揮命令のもとに給付する労務の管理にあたつて労働者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解すべきである。

前記第一の一1及び第三の二で認定したように、被告平和石綿は、原告ら元従業員と雇傭契約関係にあつたのであるから、原告ら元従業員に対し、安全配慮義務を負つていたものというべきである。

2そこで、被告平和石綿が原告ら元従業員に対し、負う安全配慮義務の具体的内容について検討する。

安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて定まるものであるところ、前記第二の一、二及び第三の一、二に認定のように、被告平和石綿においては、設立以来石綿糸等の石綿製品の製造工程で石綿じんが発生し、右製造工程や機械の保全作業に従事していた原告ら元従業員がこれを吸入することによつてじん肺に罹患するおそれがあつたものでこれに原告ら元従業員が従事した作業の性質、前記第三の一のじん肺の病理、経過の特質、予防方法及びじん肺問題の沿革特にじん肺防止に関する立法の経過等に照らして考察すると、被告平和石綿は、設立以来雇傭関係が存続した期間、原告ら元従業員に対し、具体的には、次のような安全配慮義務を負つていたものというべきである。

(一)  発じんを防止するために、

(1)  生産工程や作業方法の改良の措置をする。

(2)  原材料を有害性の少ないものに替える。

(二)  発生した粉じんの飛散抑制のために、

(1)  研磨作業の際注水する等作業方法の改善の措置をとる。

(2)  発生源となる設備を密閉し、隔離するとともに、発生した粉じんが滞留することのないよう局所排気装置を設置する。

(3)  床面の散水や清掃方法を工夫する。

(三)  粉じん曝露の程度を軽減するために作業時間の短縮配置換等の作業強度軽減の措置をとる。

(四)  粉じん吸入の防止のために検定合格品の防じんマスクを支給し、作業の際これを着用するよう指導監督するとともに、マスク着用が長時間にわたらないよう、交代、休憩等の労働強度軽減の措置をとる。

(五)  じん肺発症の早期発見、早期治療のために、

(1)  定期的にじん肺の健康診断を実施する。

(2)  じん肺所見の認められた者に結果を通知し、粉じん作業職場から離脱させる。

(六)  従業員自身によるじん肺防止や健康管理を図るために、じん肺についての医学的知見、予防方法等について教育及び指導を実施する。

二被告平和石綿の安全配慮義務の不履行

1前記(第二の一、二)認定事実、〈証拠〉並びに検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 発じんの防止、粉じんの飛散抑制のための措置

(1) 原材料について

被告平和石綿では原材料に石綿糸の製造工程で出る落綿を再生原料として用いていた。このため、一方で粉じんの発生が多くなるとともに他方で粉ふるいという粉じんに曝露する機会のある作業工程が必要となつた。

(2) 混綿作業における工程の問題

① 昭和四五年ころまで攪拌機と反毛機が連結密閉されておらず、攪拌機から材料を取り出して反毛機に入れる手作業が粉じんに曝露する機会となつた。

② 昭和五一年ころまで混綿機(攪拌機と反毛機の結合したもの)から梳綿機に材料をパイプで送る装置が設置されておらず、右材料を移し入れる手作業が粉じんに曝露する機会となつた。

(3) 除じん装置について

① 被告平和石綿設立のころ

煙突や窓による自然換気にまかせ、除じん設備を設置しなかつた。

② 旧工場時代(昭和三六年六月ころから)

昭和三七年九月ころ、板金業者の宮下巌雄が製作したサイクロン式除じん機が、混綿作業用(一〇馬力一五〇立方メートル)と梳綿兼精紡作業用(三馬力四〇立方メートル)に一基ずつ設置された。サイクロン式除じん機は、円筒内で汚染した空気を回転させ、遠心力によつて外方に分離する粉じんを落下させる方法によつて集じんするものである。これらの除じん機は、いずれも設置当初効果があるかのようにみえたが、粉じんがダクト内に堆積して粉じんを吸入しなくなり、除じん効果が生じなくなるばかりでなく、ダクト内から堆積した粉じんを排出する際に粉じんが室内作業場で飛散した。なお、他の作業場は窓等による自然換気にまかされていた。

③ 混綿室の増築及び織布工場建設のころ(昭和四二年七月ころから)

昭和四二年ころ、従前のサイクロン式除じん機二基が廃止され、バッグフィルター式除じん機(一〇馬力一五〇立方メートル)が混綿、梳綿兼研磨作業用と梳綿作業用に一基ずつ設置された。更に昭和四四年ころ、バッグフィルター式除じん機(一五馬力一八〇立方メートル)二基が精紡兼織機作業用に設置された。バッグフィルター式除じん機は粉じんを瀘布の袋で瀘過する方法で集じんするものである。右のような除じん設備により、浮遊粉じんの量は多少減少した。なお、他の作業場には除じん装置は設置されていなかつた。

④ 新工場建設のころ以降(昭和四六年ころ以降)

(ア) 昭和四六年ころ、新工場建設に伴つて反毛作業用にバッグフィルター式除じん機(以下除じん機は省略する。)一基、混綿兼梳綿作業用にバッグフィルター式三基、梳綿作業用にバッグフィルター式一基、精紡作業用にエアータンブラー式三基、バッグフィルター式二基、合撚作業用にバッグフィルター式二基が設置された。そして、従前の精紡兼織機作業用のバッグフィルター式二基は織機作業専用とされた。エアータンブラー式は粉じんを水の噴射を利用して加湿沈澱させて集じんするものである。

右の除じん設備により浮遊粉じん量は設置前と比較するかぎりでは減少した。

(イ) その後昭和四九年ころ及び昭和五二年ころの二度にわたる除じん設備の改善により、浮遊粉じん量は更に大幅に減少した。

(ウ) なお、昭和四六年九月一三日被告平和石綿が作業環境を測定した結果は、粉じん濃度二・一六mg/m3であり、旧特化則による規制値二・〇mg/m3を上回つていた。しかし、その後の昭和四七年九月一二日、昭和四八年六月二七日及び昭和四九年九月一〇日の各測定結果は、いずれも右規制値を下回つていた。

(4) 粉じん発生源となる設備の密閉、隔離について

① 混綿作業では、昭和四八年ころまで、材料の投入口や材料を運ぶベルトコンベアーの回りにビニールの囲いが設備されていなかつた。

② 梳綿作業では、昭和四七年ころまで機械を覆うビニールの囲いが設置されていなかつた。

③ 精紡作業では、昭和四六年ころはじめて機械下部にプラスチック及びビニール製カバーが設置された。

④ 粉ふるい作業では、昭和四七、四八年ころまでは機械にビニールの囲いが設置されていなかつた。

(5) 二次粉じん発散防止の措置について

昭和四八年ころまで床に散水されず、また電気掃除機による清掃も行われなかつた。

(6) 研磨作業の際の注水について

研磨作業について注水して行う等の作業方法の改善措置はされなかつた。

(二) 作業時間の短縮

被告平和石綿においては、受注量の増加と欠勤者の補填などの理由により、昭和四九年度の一般不況期を除き、設立当初から恒常的に三六協定なし、女子の法定時間外労働、有害業務についての法定時間外労働などの法定の制限を超えた違法な時間外労働が実施され、しかも取締を免れる目的で賃金台帳につき二重帳簿が作成された。

同被告は、このため篠ノ井監督署から、昭和四一年五月一二日有害業務についての法定時間外労働及び女子の法定外深夜業について是正勧告の指導を受けた。そして、右違法な時間外労働についての是正措置がなされなかつたことから、同年一一月一日強制捜査を受け、検察庁に同被告関係者全員が送致され、昭和四二年一月同被告は罰金五万円の、山本社長は罰金二万円の、工場長の原告高橋二郎は罰金二万円の各略式命令を受けた。更に、同被告は、篠ノ井監督署から昭和四四年三月二七日三六協定なしの時間外労働について是正勧告の指導を受け、昭和四五年五月二七日三六協定なしの時間外労働と有害業務についての法定時間外労働についての是正勧告の指導を受け、なおも同年一〇月八日、昭和四九年九月一〇日の二度にわたり、有害業務についての法定時間外労働について是正勧告の指導を受けた。

原告ら元従業員はいずれも法定の制限を超えた時間外労働に従事してきた。具体例をあげると、原告高橋二郎は作業終了時刻が午後八時ないし九時、時には午前一時ないし二時という深夜の場合もあり、原告高橋次郎も作業終了時刻が午後一二時、作業開始時刻が午前三時という場合があり、原告松本時治は時間外労働が平均して一か月一〇〇時間前後にも及び、松本清美も時間外労働が平均して昭和四一年ころまで一か月一〇〇時間前後にも及び、根津知子や根津岩子の場合も作業終了時刻が午後九時となることがあり、田中元女も作業開始時刻が午前六時の場合や作業終了時刻が午前一一時ないしは一二時の場合があり、中島九一も作業時間が午後七時から午後七時まで、遅いときは作業が午後一一時まで及ぶ場合があり、武とよも毎日のように作業終了時刻が午後七時ないし八時であつた。

(三) 防じんマスク

(1) 被告平和石綿設立以来暫らくの間、防じんマスクの支給はなく、従業員はいずれも市販のガーゼマスクを購入して着用していた。しかしながら、ガーゼマスクには粉じんの吸入を防止する機能がほとんどない。

(2) 昭和三七年二月ころになつてはじめて防じんのためのスポンジマスクが八個備付けられたが、この備付は試験的なもので、しかも役付の従業員に支給されたにとどまり、大半の従業員は従前同様ガーゼマスクを着用していた。また、右スポンジマスクは検定合格品ではなく、粉じん吸入防止の機能が劣つていた。このような状況の中で、同被告は、昭和三八年一〇月四日篠ノ井監督署から防じんマスクを着用させるよう是正勧告の指導を受け、同年一二月ころ新たに非検定品のスポンジマスク四〇個を備付け、更に昭和四一年二月ころ新たに非検定品のスポンジマスク三〇個を備付けた。右のようにスポンジマスクがほぼ従業員の数に見合う分備付けられたが、呼気抵抗と夏場の発汗により作業に支障が生じるところから、一部従業員は元どおりガーゼマスクを着用していた。このため同被告は、昭和四一年五月ころ篠ノ井監督署からガーゼマスクの着用を止めさせるよう指導を受けた。

(3) 同被告は、備付けた防じんマスクが検定合格品ではなかつたので昭和四四年三月二七日篠ノ井監督署から検定合格品の特級又は一級の防じんマスクの備付と着用をさせるよう是正勧告の指導を受け、同年四月検定合格品のDR一二型防じんマスク二〇個を備付け、更にその数を増やし同年五月九日には三九個が備付けられて、ほぼ従業員の数に見合う数となつた。しかし、右検定合格品の防じんマスクは、従前の非検定品のスポンジマスクと比較すると、より重くかつ呼気抵抗があり、夏場の発汗等により作業に支障が生じるところから、一部従業員は従前どおりガーゼマスクあるいは非検定のスポンジマスクを着用していた。このため同被告は、篠ノ井監督署から、同年五月九日検定合格品の防じんマスクを着用させるよう指導を受け、更に昭和四五年一〇月八日、昭和四六年三月末日までに検定合格品の防じんマスクの完全着用と、着用実行のため軽量で呼気抵抗の少ないマスクの選択備付けの指導を受けた。しかしながら、同被告は、検定合格品の防じんマスクを着用しない従業員に対し、時折口頭で着用につき形ばかりの注意を与えたことがあるにすぎず、防じんマスクのじん肺予防上の意義を説明するなどして着用の徹底を図ることがなく、総作業時間あるいは単位作業時間の短縮等により作業強度を軽減する措置を全く講じようとしなかつた。したがつて、従業員らの防じんマスクの着用状況は不良で、同被告は、昭和四七年から毎年のように篠ノ井監督署又は長野監督署から検定合格品の防じんマスクの着用を徹底するよう指導を受けた。

(4) 原告ら元従業員のうち、小山貴一、根津知子、根津岩子、田中元女及び武とよの五名はいずれもガーゼマスクのみを着用していた。原告高橋次郎及び中島九一はいずれも当初ガーゼマスクを着用し、その後支給されたスポンジマスクを着用したが、検定合格品の防じんマスクは支給がなかつたため、着用するに至らなかつた。原告高橋二郎、原告松本時治及び松本清美の三名はいずれも当初ガーゼマスクを着用し、その後支給に応じてスポンジマスク、検定合格品の防じんマスクを着用した。

(四) じん肺健康診断の実施等

(1) 同被告は、設立以来じん肺健康診断を実施していなかつたところ、昭和三八年一〇月四日篠ノ井監督署から、じん肺健康診断を実施するよう是正勧告の指導を受け、同年一一月からじん肺の定期健康診断を実施するようになつた。しかしながら、雇入時のじん肺健康診断については、昭和四四年まで実施されず、昭和四四年三月二七日篠ノ井監督署から実施するよう是正勧告の指導を受けたが、その後も履行が不完全であつたので昭和四五年、昭和四七年、昭和四九年、昭和五一年の四回にわたり是正勧告の指導を受けた。

なお、同被告は、じん肺を予防するうえで、じん肺健康診断が必要不可欠であることを説明するなどしてじん肺健康診断を全従業員にもれなく受診させる工夫を欠いたため、従業員の一部には健康診断を受けない者もあり、このため昭和四五年五月二七日の是正勧告では、じん肺健康診断の完全実施を図るべく、個人別実施計画、結果台帳の作成により法定の実施期間及び回数の確保を図ることや臨時工の実施もれのないよう配慮すべき旨の指導を受けたにもかかわらず、なお前記のとおり昭和四七年から昭和五一年まで三回にわたり是正勧告の指導を受けている。

(2) 同被告は、昭和四六年四月二〇日篠ノ井監督署から、じん肺健康診断の結果じん肺の所見があると判定された者についてじん肺管理区分の申請手続がなされていないことから、じん肺健康診断の事後措置を十分に行うよう是正勧告の指導を受けた。しかしながら、同被告は、松本清美について昭和四七年九月一一日のじん肺健康診断の結果じん肺所見があり要心肺機能検査と判定されたにもかかわらず、このことを本人に告知せず心肺機能検査の実施もしなかつた。また、同被告は、昭和四七年一一月一日付で原告高橋二郎、原告松本時治を含む一五名の従業員についてじん肺管理区分決定の通知を受けたにもかかわらず、遅滞なく本人に通知しなかつた。そして、右従業員のうち原告松本時治ほか二名については、じん肺管理区分管理四と決定されたにもかかわらず、同人らを配置転換等により粉じん作業から離脱させる措置をとることなく、従前と同一の粉じん作業に従事させた。右従業員のうち、原告高橋二郎ほか六名についてはじん肺管理区分管理二あるいは三の決定があつたにもかかわらず、昭和四八、四九年にわたり法定の年一回のじん肺定期健康診断を実施しなかつた。同被告は、昭和五一年三月一六日付で従業員岡沢くらほか六名についてじん肺管理区分の決定の通知を受けたにもかかわらず、遅滞なく本人らに通知しなかつた。

(五) じん肺教育等

(1) じん肺教育の欠如

被告平和石綿は、設立以来従業員を粉じん作業に従事させているにもかかわらず、従業員に対して、粉じん作業がじん肺の原因となることやじん肺の病理、症状、経過についての特質(全身疾患性、慢性進行性、不可逆性)及び予防方法が前記第三の一のとおりであり、特に長時間労働が有害であり、従業員自身も検定合格品の防じんマスクを着用したり、すすんでじん肺健康診断を受けるなどして自己の健康管理に注意することが肝要であるなどの従業員自身がじん肺を予防するために必要な具体的な教育及び指導を全く行わなかつた。

(2) 安全衛生管理体制の欠如

同被告は内部の機関として昭和四三年ころ安全委員会を、昭和四七年ころ安全推進委員会を、昭和四八年ころ安全衛生委員会をそれぞれ設置した。そして定期的には毎月一回程度、その他不定期に全国労働安全週間、全国労働衛生週間などの機会に委員会が開かれ、安全、衛生、防火等の問題について討議されていた。ただ、安全衛生についての具体的な内容として職場環境の改善や健康診断実施計画が話題となつたことはあつたが、労働基準監督署の取締に対する対応に終始し、退職者を含めた全従業員のじん肺罹患状況、各種粉じん作業のじん肺罹患の危険性、将来のじん肺に対する予防対策等が話題となることはなかつた。

同被告は、昭和四五年五月二七日篠ノ井監督署から、衛生管理者未選任につき是正勧告の指導を受け、隈崎和美と飯島正訓の二名を選任した。しかし、飯島正訓は名目だけで全く衛生管理の仕事に従事せず、隈崎和美も権限や職務を明確にされず、じん肺関係の法律や具体的な管理事項についての知識も不足していたことから、健康診断個人票等の書類の作成、整備、保管等の事務的な仕事に関与したものの、工場内を巡視し、具体的な改善策をはかるなどの実質的な衛生管理の仕事は行わなかつた。産業医についても昭和五〇年二月堀医院が選任されたが、同医院はインフルエンザの予防接種を二、三回行つた程度でじん肺健康診断について意見を求められたことも、従業員の健康相談の依頼を受けたこともなかつた。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

2右1認定の事実及び、前記第三の二1、3、4の事実を総合すれば、次のようにいうことができる。

(一)  被告平和石綿は、発じんの防止、粉じんの飛散抑制のための措置として、

(1)  原材料に石綿糸の製造工程で出る落綿を再生原料として使用することを止めるべきであつたのにこれを怠たり、

(2)  混綿作業について、①攪拌機と反毛機を連結、密閉すべきであつたのに昭和四五年ころまでこれを怠たり、②混綿機から梳綿機へ材料を移し入れる機械装置を設置すべきであつたのに昭和五一年ころまでこれを怠り、

(3)  発生した粉じんが滞留することのないよう可能な限り局所排気装置等除じん設備を備えるべきであつたのに、同被告設立のころは全く右のような除じん設備を設けず、昭和三六年六月ころから始る旧工場時代には一応除じん機が備えられていたが有効なものではなく、昭和四二年ころから次第に除じん設備を備えていつたが、昭和四六年ころまではなお浮遊粉じん量が旧特化則による規制値を上回る有害な状態にあつて十分といえるものでなく、右設置義務を怠り、

(4)  ビニールの囲い等により発生源となる設備の密閉、隔離をはかるべきであつたのに、

①  混綿作業について、昭和四八年ころまでは材料の投入口や材料を運ぶベルトコンベアーの回りにビニールの囲いを設置せず、

②  梳綿作業について、昭和四七年ころまで機械を覆うビニールの囲いを設置せず、

③  精紡作業について、昭和四六年ころまで機械下部にプラスチック及びビニール製カバーを設置せず、

④  粉ふるい作業について、昭和四七、四八年ころまで機械にビニールの囲いを設置せず、前記設置義務を怠り、

(5)  二次粉じん発散を防止すべく、床に散水し、また電気掃除機を用いて清掃すべきであつたのに、昭和四八年ころまでこれを怠たり、

(6)  研磨作業について、注水する等作業方法に工夫を加えるべきであつたのに、これを怠つた。

(二)  同被告は、粉じん曝露の程度を軽減するための措置として、作業時間の短縮等作業強度を軽減すべきであつたのに、かえつて、設立当初から恒常的に女子の法定時間外労働、有害業務についての法定時間外労働などの法定の制限を超えた違法な時間外労働を実施し、しかも取締を免れる目的で賃金台帳につき二重帳簿を作成し、これを怠つた。

(三)  同被告は、粉じん吸入防止のための措置として、従業員に検定合格品の防じんマスクを支給し、作業の際これを着用するよう指導監督するとともに、従業員が防じんマスクを着用したがらないのは、右着用が長時間に及ぶと息苦しさに耐えられなくなつたり作業能率が低下することにあつたのであるから、単位作業時間の短縮や休憩時間の配分の工夫などの労働強度軽減の措置をすべきであつたのに、同被告設立のころは防じんマスクの支給自体がなく、昭和三八年ころから昭和四一年にかけてのマスク支給は全員一律でなく、しかも粉じん吸入防止機能の劣る非検定品であり、その後昭和四四年四、五月に至りようやく従業員数に見合う検定合格品の防じんマスクが備付けられたものの、種類の選定が必ずしも適切でなく、一部従業員に不着用がみられたのに実効性のある着用指導をなさず、前記義務を怠つた。

(四)  同被告は、じん肺発症の早期発見、早期治療のための措置として定期的にじん肺健康診断を実施するとともにじん肺所見の認められた者に結果を通知し、粉じん作業職場から離脱させるべきであつたのに、

① 原告高橋二郎が、昭和四七年一一月一日付でじん肺管理区分管理二と決定されたにもかかわらず、同原告に対する決定の通知を行わず、同原告に、じん肺罹患が判明した昭和五〇年一一月まで粉じん作業からの離脱、じん肺治療の機会を失わせ、

② 原告松本時治が、昭和四七年一一月一日付でじん肺管理区分管理四と決定されたにもかかわらず、同原告に対し右決定の通知を行わず、同原告が退職した昭和四九年一二月三〇日まで粉じん作業からの離脱の機会を失なわせ、同原告がじん肺罹患を知つた昭和五〇年九月までじん肺の治療の機会を失わせ、

③ 松本清美が昭和四七年九月一一日のじん肺健康診断の結果、じん肺所見があり要心肺機能検査と判定されたにもかかわらず、同人に対し右じん肺所見の通知を行わず、心肺機能検査も実施しなかつたため、同人退職の昭和四九年三月三〇日まで粉じん作業からの離脱の機会を失わせ、同人がじん肺罹患を知つた昭和五〇年五月八日までじん肺の治療の機会を失わせ、これを怠つた。

(五)  同被告は、従業員自身によるじん肺罹患の防止や健康管理を図るための措置としてじん肺についての医学的知見、予防方法等について教育及び指導を実施すべきであつたのに、設立以来これらを一切行わず、怠つた。

三因果関係

被告平和石綿の右二の安全配慮義務の不履行により原告ら元従業員がじん肺に罹患し、更には死亡又は重篤な症状に陥入つたか否かについて検討するに前記第三の三のとおり、原告ら元従業員はいずれも同被告における粉じん作業によつて石綿粉じんに曝露しこれを吸入してじん肺に罹患し、更には死亡又は重篤な症状に陥つたことが明らかであり、これに右二の安全配慮義務違反の態様、前記第三の二の原告ら元従業員の同被告における作業歴並びにじん肺罹患の経過及び症状をあわせ考えれば、原告ら元従業員の在職期間、作業内容等の違いにより、同人らそれぞれに対する安全配慮義務違反の態様、程度は一律ではないが、同被告の前記安全配慮義務違反と、原告ら元従業員がじん肺に罹患し、死亡又は重篤な症状に陥つたとの結果との間に相当因果関係のあることは明らかである。

四有責性

被告平和石綿は、当時のじん肺に関する知見とその対策の普及の程度等を理由に原告ら元従業員がじん肺に罹患することを予見しえなかつたから、同被告の責に帰すべき事由はないと主張する。

しかしながら、前記第二に認定の原告ら元従業員が従事した作業の性質、前記第四の二に認定の同被告の安全配慮義務違反の態様、程度、前記第三の一に認定の、じん肺問題の沿革、特にじん肺防止に関する立法の経過等、更には後記第六の二に認定の同被告がじん肺法の施行に際して労働基準局による関係法令の趣旨及び内容についての集団指導を受けたとの事実に照らして、同被告が原告ら元従業員のじん肺の罹患及び死亡又は重篤な症状の結果の発生を予見することは優に可能であつたというべきであり、じん肺に関する知見とその対策の普及の程度等を理由とする同被告の有責性不存在の抗弁は採用しえない。

五結論

以上によれば、被告平和石綿は、原告ら元従業員に対し、雇傭契約に付随する安全配慮義務の不履行によつて生じた後記の損害を賠償すべき義務があるというべきである。

第五  被告朝日石綿の責任

一被告平和石綿と被告朝日石綿との関係

前記第二の一に認定の事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。(原告らと被告朝日石綿との間で争いのない事実を含む。)

1被告朝日石綿と被告平和石綿の企業規模について

被告朝日石綿は、石綿製品の製造、加工、販売等を目的として大正一三年三月一〇日に設立された株式会社であり、資本金二三億四〇〇〇万円(昭和四九年一二月一日の増資前は一八億円)、従業員数一七八七名(昭和五二年三月三一日当時)、昭和五〇年四月から昭和五一年三月までの間の一年間の売上高三四六億四〇九四万六〇〇〇円、資産三八二億三四九二万八〇〇〇円(昭和五二年三月三一日当時)全国に八工場、一〇支店、約四〇の出張所を有する大企業であり、我国の石綿業界有数の大手企業であつて、東証第一部上場会社である。

一方、被告平和石綿は、石綿糸の製造等を目的に、昭和三五年九月七日に設立された株式会社であり、資本金三〇〇〇万円、従業員数約九〇名であつて、規模において被告朝日石綿とは比較にならない一地方企業である。

2右両会社の取引開始から昭和四三年四月の被告平和石綿織布工場新設のころまでの経過及び諸事情

(一) 右経過について

被告平和石綿は、昭和三九年一一月ころ、不況の渦中で業績が振わず、被告朝日石綿に石綿糸の取引を申入れた。被告朝日石綿は、石綿糸の見本を送付させた後昭和四一年一月ころ、被告平和石綿から石綿糸を買受ける取引を開始した。

右取引開始より前に、被告朝日石綿では、独自の経営上の観点から、石綿紡織品(石綿糸、石綿布)の製造を順次縮小して外注に切換え、利益率の高い石綿加工品の製造を拡大する計画を立て、自社の製造に代る石綿紡織品の安定的供給先を探していたところ、従前被告朝日石綿に良質な石綿紡織品を供給していた黒田石綿について、昭和四〇年八月ころ、市場で被告朝日石綿と競合する曙ブレーキ工業株式会社が既に資本参加ずみである事実が判明し、黒田石綿は右石綿紡織品の安定的供給先としては不適当であると判断された。

そこで、被告朝日石綿は、当初ごくわずかであつた被告平和石綿との石綿糸の取引を順次拡大していく一方、被告平和石綿を、石綿紡織品を安定的に供給できる外注先の一候補として検討することとし、昭和四二年一月ころ、財務部長と石綿紡織品担当の第二業務部長を兼ねる佐藤正夫、第二業務部次長兼東京工場長代行大野秀夫及び第二業務部課長徳安某らを被告平和石綿に派遣し、被告平和石綿の経営内容及び技術力を調査した。その結果、被告平和石綿は赤字会社であり、しかも石綿布の製造をしておらず、石綿糸についても品質が粗悪で技術が劣つてはいるものの、他の競合企業の系列に入つておらず、技術面で向上する素地はあり、今後の資金援助や技術指導によつて石綿紡織品を安定的に供給できる外注先となる見込があると判断した。

そして、被告朝日石綿は、昭和四二年ころから、被告平和石綿に対し、後記のとおり、資金援助及び技術供与を行い、その結果被告平和石綿は、昭和四三年四月ころまでに、前年九月ころから新設にかかつていた織布工場を完成し、その後の被告平和石綿の被告朝日石綿に対する取引は、後記のとおり製品売上高及び購入原材料高が順次増加して被告朝日石綿一色といつてもよい程になつた。

(二) 資金援助

被告平和石綿は、昭和四一年ころ、当時の資本金六〇〇万円に比して多額の累積赤字を抱えており、その繰越損失金は、例えば第六期(昭和四〇年八月一日から昭和四一年七月三一日まで)が八四三万九〇二四円、第七期(昭和四一年八月一日から昭和四二年七月三一日まで)が五五三万一円、第八期(昭和四二年八月一日から昭和四三年七月三一日まで)が八七七万九八三三円であつた。

(1) 設備資金に対する援助

被告平和石綿が昭和四二年六月一四日織布工場新設資金として中小企業金融公庫から一二〇〇万円を借受けるにつき、被告朝日石綿は右借受金債務を保証し、被告平和石綿の資金調達に協力した。

(2) その他の資金援助

(ア) 被告朝日石綿は、被告平和石綿に対し、第八期から第一二期(昭和四五年一〇月一日から昭和四六年三月三一日まで)まで、主として額面四〇〇万円の約束手形を各期当り数通融通目的で振出し、被告平和石綿は、この手形を割引いて運転資金に充てていた。

(イ) 被告平和石綿が昭和四三年八月二四日株式会社太陽銀行から一八〇〇万円を借受けるにつき、被告朝日石綿は右借受金債務を保証し、被告平和石綿の資金調達に協力した。なお、被告平和石綿の昭和四四年七月三一日時点における借入金総額は三三八四万六七一七円であるが、そのうちの二四一〇万円分(株式会社太陽銀行分は一七一〇万円、中小企業金融公庫分七〇〇万円、計二四一〇万円)、右借入金総額の約七一パーセントにつき被告朝日石綿が保証をし、被告平和石綿の資金調達に協力していたことになる。

(三) 技術供与

(1) 被告朝日石綿は、同社横浜工場の紡織部門、梳綿部門の技術者尾形洋広を、紡織、梳綿の技術指導の目的で、昭和四二年三月ころから昭和四四年一一月ころまでの間に、六回位にわたり、一回の指導期間二か月半位で被告平和石綿に派遣した。

(2) 被告朝日石綿は、同社東京工場の梳綿部門の技術者伊藤新三郎を、梳綿の技術指導の目的で、昭和四二年四月ころから同年一一月ころまでの間被告平和石綿に派遣した。

(3) 被告朝日石綿は、織布工場新設前後のころ、被告朝日石綿の技術者箱守正一を梳綿の技術指導の目的で、同社の技術者塩野宏を品質管理の指導の目的で、同社の技術者大森武郎を織布の技術指導の目的で、いずれも一週間位ずつ被告平和石綿に派遣した。

(4) 被告朝日石綿は、昭和四三年ころ、被告平和石綿における従前の技術指導の成果や生産性の状況を総合調査する目的で、前記大野秀夫と被告朝日石綿横浜工場製造次長(紡織部門担当)松本好隆を被告平和石綿に派遣した。

(5) 一方、昭和四二年八月の職布工場建設着手のころ、被告平和石綿は、従業員二名を石綿布製造の技術を習得する目的で被告朝日石綿に派遣したが、その際同社の従業員並みの滞在費は負担したが、指導は無償であつた。

(四) 取引の拡大

(1) 売上高について

織布工場新設直前の被告平和石綿の第七期(昭和四一年八月一日から昭和四二年七月三一日まで)における被告朝日石綿に対する売上高は二九五一万九四一七円であり、これは全売上高の約四二パーセントを占める。織布工場が新設された期である第八期(昭和四二年八月一日から昭和四三年七月三一日まで)における被告朝日石綿に対する売上高は約五二二四万五〇〇〇円であり、これは全売上高の約七二パーセントを占める。織布工場が軌道に乗つた第九期(昭和四三年八月一日から昭和四四年七月三一日まで)における被告朝日石綿に対する売上高は八三一七万四九二円であり、これは全売上高の約九七パーセントを占める。

(2) 原材料の購入について

被告平和石綿の第七期における被告朝日石綿からの原料購入高は八八〇万九九六六円、第八期のそれは一二五三万五〇三五円、第九期のそれは三一七六万五九一五円であり、各期における全購入費に占める割合は第七期が約二四パーセント、第八期が約三四パーセント、第九期が約八八パーセントである。

なお、第九期以降原材料の購入割合が増加したのは、従前被告平和石綿がスフ綿を三菱商事から、石綿を東京興業貿易、垣内商事からそれぞれ買受けていたところ、三菱商事との取引については被告朝日石綿であれば要求されない銀行保証料が要求され、他二社との取引についても既に大量の取引量がある被告朝日石綿と比較して仕入値が高く、支払サイトが短かいことから、銀行保証料削減、原材料費節減及び支払いサイト延長の目的で、昭和四三年八月ころ、被告平和石綿で使用する原材料のうち、右三社からの仕入れ分を被告朝日石綿を介して仕入れることとしたからである。

3昭和四五年の被告平和石綿の新工場建設に至る経過及びその前後の諸事情

(一) 右経過について

前記のとおり、被告朝日石綿は、石綿紡織品の製造を順次縮小し、石綿加工品の製造を拡大することを予定していたのであるが、これに加えて昭和四四年ころ、若年女子労働者の新規採用が極めて困難となり、同年二月ころ横浜工場の石綿紡織部門を閉鎖し、石綿加工部門一本とするとともに、これに代わる外注先の選定を検討した。その結果、同年一一月ころ、右の外注先として被告平和石綿を選定し、被告朝日石綿の指導援助の下に、被告平和石綿に横浜工場の石綿紡織部門に代わる新工場を建設させることが事実上決定され、被告平和石綿もこれを受入れた。そして、昭和四五年二月ころ、被告朝日石綿において右案件が正式に禀議決裁され、更に右案件実行のために被告朝日石綿、被告平和石綿二社の合同委員会が結成され、被告朝日石綿からは横浜工場の製造次長で同工場の石綿紡織部門の最高責任者である松本好隆らが、被告平和石綿からは山本社長、岩下功総務部長らが出席し、被告朝日石綿の指導の下に横浜工場の石綿紡織部門の機械の解体、運搬、被告平和石綿の新工場の設計、機械の配置、機械の組立、据付、従業員の配置等について協議がなされた。

その後、昭和四五年秋ころ、被告朝日石綿の指導、援助の下に被告平和石綿の新工場の建設が実行され、昭和四六年三月ころ完成した。被告朝日石綿は、新工場建設に際して被告平和石綿に対し、後記のとおり、横浜工場の石綿紡織部門の除じん機を含む機械類の大半を移設するとともに、新工場建設資金の援助及び新工場建設に伴う技術供与を行つた。また、被告朝日石綿は、後記のとおり、昭和四五年五月ころ、被告平和石綿が資本金を六〇〇万円から二〇〇〇万円に増資した際、新株式二万八〇〇〇株(一四〇〇万円)のうち一万六〇〇〇株(八〇〇万円)を引受け、全株式の四〇パーセントを保有することとなつた。更に、後記のとおり、同年九月ころ、被告朝日石綿から派遣された、同社の監査役で財務部長兼第二業務部長である佐藤正夫、横浜工場製造次長松本好隆が被告平和石綿の取締役に、同じく被告朝日石綿の第一業務部長である植木進が被告平和石綿の監査役に選任され、そのうち、被告平和石綿に常勤取締役として常駐した松本好隆は、昭和四六年一月被告平和石綿の工場長に任命され、同社の業務全般、特に石綿紡織品の生産管理を担当した。

後記のとおり、新工場建設後被告平和石綿の生産は、被告朝日石綿の生産計画に沿つて行われるようになり、原材料のほぼ八割を被告朝日石綿から購入し、製品のほぼ全部が被告朝日石綿によつて買上げられるようになり、被告朝日石綿の指導援助の下に施設、設備の改善新設が行われるようになつた。

(二) 新工場建設資金の援助

被告平和石綿の新工場建設に要した費用は約一億四〇〇〇万円であり、この金額は被告平和石綿の当時の年間売上額一億円前後、増資前の資本金六〇〇万円、昭和四五年一月三一日時点の純資産七八二七万七三一〇円に比して過大であつた。被告平和石綿は、その経営状態や経営規模から新工場建設資金を独力で調達できず、以下のとおり、被告朝日石綿の援助を受けることによつて資金調達を達成できた。

(1) 増資による資金一四〇〇万円のうち八〇〇万円を被告朝日石綿が負担した。

(2) 被告朝日石綿から四四八万五〇〇〇円を借入れた。

(3) 金融機関から一億七八八万六九〇七円を借入れたが、そのほぼ全部につき被告朝日石綿が保証した。

(4) 被告朝日石綿横浜工場の機械の売却代金は三〇六一万七一三二円とされた。

右売買契約は昭和四五年一〇月二〇日付で締結されたが、代金額は被告朝日石綿の簿価を基準とし、支払方法は(ⅰ)昭和五〇年九月末日まで五年間支払を据置き、その間は無利息とする、(ⅱ)その後同年一〇月から昭和五一年一月までは毎月一五〇万円宛、同年二月から昭和五二年一月までは毎月二〇〇万円宛、同年二月は一一一万七一三二円の分割払とする、(ⅲ)昭和五〇年一〇月以降は利息として銀行金利分を支払う、と定められた。その後、右売買契約によつて定められた支払方法は、昭和四九年五月二日、代金額が一部機械除去を理由に二八〇五万七三六八円に減額し、支払方法が(ⅰ)従前どおり昭和五〇年九月末日まで無利息とする、(ⅱ)昭和四九年五月に満期を同年九月上旬とする手形により五〇〇万円、昭和五〇年一〇月から昭和五一年一月までは毎月一五〇万円宛、同年二月から同年八月までは毎月二二〇万円宛、同年九月は一六五万七三六八円の分割払と変更され、代金額は減額されたものの一部の支払が早められた。しかし、右売買契約は、更に昭和五〇年一〇月一日に変更され、昭和五〇年一〇月以降の分割払について、昭和五三年一一月までは毎月一六〇万円宛、同年一二月は一一五万七三六八円とされ、支払方法が緩和された。

(三) 新工場建設後の資金の援助

被告朝日石綿は、新工場建設後も被告平和石綿に対し資金援助を行い、昭和四六年九月二三日に被告平和石綿が商工組合中央金庫から五〇〇〇万円を借受けた際、右借受金債務につき保証した。また、被告平和石綿が昭和四九年一〇月一日に一〇〇〇万円の増資をした際、被告朝日石綿は四〇〇万円を引受けた。

(四) 取引の関係

(1) 売上について

被告平和石綿の第一二期(昭和四五年一〇月一日から昭和四六年三月三一日まで)の総売上額は一億六九四万八九八七円であるが、そのうち被告朝日石綿に対する売上額は九〇パーセントを超えている。

被告平和石綿の第一二期の買掛、売掛、未払代金帳は、昭和四五年一二月二五日以降につき売上金額欄にのスタンプが押されるのみで、受入金額欄及び差引残高欄に金額の記載がなされなくなり、なお、昭和四六年一月からは売上金額の一割が恒常的に値引されている。

被告平和石綿の第九期(昭和四三年八月一日から昭和四四年七月三一日まで)以降の売上仕入帳の相手方を被告朝日石綿とする記載部分の「借又貸」欄には、出荷先である被告朝日石綿の取引先の名称が記載されている。

(2) 原材料の購入について

被告平和石綿は、第一〇期(昭和四四年八月一日から昭和四五年一月三一日まで)以降、原材料のほぼ八割を売買の形で被告朝日石綿から入手するようになつた。

(3) 被告平和石綿工場の入口に設けられた看板には「平和石綿工業(株)」との表示に並んで「朝日石綿工業長野倉庫」の表示がある。

被告平和石綿の生産した石綿製品のうち、被告朝日石綿の注文で直接同被告の得意先へ送付する出荷品には「朝日石綿株式会社長野倉庫」の荷札が付されて被告平和石綿から発送されていた。

(五) 技術供与

(1) 被告平和石綿の従業員七名が昭和四五年六月から八月にかけて各自一週間位被告朝日石綿の横浜工場で実習した。右実習につき被告平和石綿は、定額の滞在費以外費用をなんら負担しなかつた。

(2) 前記横浜工場の機械移設に際し、被告朝日石綿から被告平和石綿へ、松崎博、尾形洋広及び永井輝雄の三名の技術者が派遣され、技術指導にあたつたが、昭和四六年三月被告平和石綿から技術指導の延長要請があり、更に同人らは一年位技術指導をした。

(3) 被告朝日石綿の横浜工場の従業員金丸進は昭和四五年一二月一日被告平和石綿に出向して、織布、加工係長の職に就き技術及び生産の指導にあたつた。

(4) 被告平和石綿の工場内の粉じん測定は定期的に被告朝日石綿から技術者が出向いて実施していた。被告平和石綿には粉じん測定機器の備付はなく、そのための技術者もいなかつた。

(六) 株式の取得

もともと山本社長は、個人で、被告平和石綿の発行済株式総数一万二〇〇〇株のうちの約七一パーセントにあたる八四九四株を保有していた。しかし、昭和四五年五月ころ被告平和石綿が新株二万八〇〇〇株を発行して増資した際、被告朝日石綿は一万六〇〇〇株を引受け、発行済株式総数の四〇パーセントを保有することとなつたが、その時点で山本社長は個人で一万五五六四株と株式数は従前より増加したものの全株式に占める割合は約三八・九パーセントと低下し、筆頭株主の地位を被告朝日石綿に譲つた。

(七) 役員の派遣等

(1) 被告朝日石綿の監査役で財務部長兼石綿紡織品担当の第二業務部長であつた佐藤正夫は、昭和四五年九月一六日被告平和石綿の非常勤の取締役の地位に就くとともに被告平和石綿の株式二〇〇〇株(一〇〇万円)を被告朝日石綿から譲受けた。佐藤正夫は、後記のとおり、非常勤ながら、被告平和石綿の施設、設備の改善、新設や生産計画の意思決定に参加し、主導的な役割を果していた。

(2) 被告朝日石綿の第一業務部長であつた植木進は、昭和四五年九月一六日被告平和石綿の監査役の地位に就くとともに被告平和石綿の株式二〇〇〇株(一〇〇万円)を被告朝日石綿から譲受けた。

(3) 被告朝日石綿横浜工場の製造次長で同工場の石綿紡織部門の最高責任者であつた松本好隆は、前記のとおり、昭和四三年ころ被告平和石綿における技術指導の成果や生産性の状況を総合調査すべく被告平和石綿に派遣されていたが、昭和四五年八月一日新工場建設の指導と新工場建設後の被告平和石綿の生産管理、品質管理を実施すべく、被告平和石綿に派遣され、同年九月一六日被告平和石綿の常勤の取締役の地位に就くとともに被告平和石綿の株式二〇〇〇株(一〇〇万円)を被告朝日石綿から譲受けた。なお、松本好隆の給与は六割を被告朝日石綿が負担し、四割を被告平和石綿が負担していた。

松本好隆は、当初新工場建設の指導にあたつていたが、昭和四六年一月一日被告平和石綿の工場長に就任した。なお、被告平和石綿の職制上、工場長は、社長に次ぐ地位で、社長を補佐して会社業務全般に責任を負うべきものとされている。

松本好隆は、被告朝日石綿から被告平和石綿へ派遣された目的が生産管理、品質管理の実施にあつたところから、工場長就任後、出荷、原価計算、見積、資材調達、資金繰り、従業員の採用、出勤状況の把握等主として生産に直接関係する事項を担当してきた。従業員の安全衛生面に関しては工場長就任のころに安全衛生委員会の委員長として活動したり、除じん設備の改善充実に努めたり、合撚工程を省略化したり、定期的に被告朝日石綿の技術者を呼んで粉じん測定を実施するなどしてきたが、じん肺健康診断関係についてはあまり関心を払わず岩下功総務部長らに任せきりにしていた。

(4) 被告平和石綿における生産計画、施設、設備の改善、新設等の業務執行意思決定

被告平和石綿の取締役は、被告朝日石綿から派遣された佐藤正夫、松本好隆の二名と、山本社長、岩下功総務部長、宮沢敏夫製造次長らであつたが、被告朝日石綿から派遣された右二名を除く他の取締役はいずれも山本社長の意向に従つていた。

被告平和石綿の生産計画については、松本好隆が企画立案し、山本社長がそれを了承するという形式がとられていた。しかし、松本好隆は、被告平和石綿ら関連会社が出席し、佐藤正夫も第二業務部長の資格で出席する、被告朝日石綿の生産者会議に毎月一回出席し、被告朝日石綿の生産計画に沿つて関連会社に割当てられる生産量を前提に生産計画の企業立案をしていた。

被告平和石綿の施設、設備の改善、新設については、松本好隆が企画立案し、山本社長の了承、佐藤正夫の決裁という形で決定されていた。

(七) その他

被告平和石綿の従業員らは、被告朝日石綿を、被告平和石綿の親会社であるという意識の下に「本社」と呼称していた。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

二被告朝日石綿の責任

1被告平和石綿の責任の承継の主張について

原告らは、被告朝日石綿の被告平和石綿に対する支配は完全なものであり、両者は企業として実質的に同一性を有し、被告朝日石綿は被告平和石綿を実質上吸収合併したと同様の結果となつたから、被告平和石綿の原告ら元従業員に対する責任は被告朝日石綿に承継されたものというべきであると主張する。

しかしながら、合併は二個以上の会社が契約によつて合体し、一個の会社となることであり、合併の結果、当事会社の一部又は全部が解散すると同時に消滅し、存続会社が新株を発行し又は新会社が成立して、解散会社の株主を存続会社又は新設会社に収容し、存続会社又は新設会社が解散会社の権利義務を包括承継するもので、当事会社の株主、債権者ら関係者に重大な影響を与えることに鑑み、手続及び要件が厳格に定められているのであるから、たとい親会社の子会社に対する実質的な支配の程度がいかに強いものであつても、これを親会社が子会社を吸収合併したものとみて、法律上当然に子会社の義務が親会社に包括承継されるとすることはできない。したがつて、原告らの主張は理由がない。

2債務不履行責任(安全配慮義務違反)について

(一) 前記第一の一1に認定のように、原告ら元従業員が雇傭契約を締結した相手方が被告平和石綿であることは明らかであり、原告ら元従業員と被告朝日石綿が雇傭契約を締結した事実を認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、使用者の安全配慮義務は、労働者の労働供給に伴う危険性に対し、使用者が当該労働者の労務を支配管理するという法律関係があるが故に信義則上右労働関係の付随義務として認められるのであつて、必ずしも雇傭契約に付随してのみ存するものではないから、当該労働者の労務を支配管理するという意味において事実上雇傭契約と同視しうる使用従属の関係が存する場合には右安全配慮義務を負うこととなる場合があるというべきである。これをいわゆる親子会社の場合についてみると、労働者が法形式としては子会社と雇傭契約を締結しており、親会社とは直接の雇傭契約関係になくとも、親会社、子会社の支配従属関係を媒介として、事実上、親会社から労務提供の場所、設備、器具類の提供を受け、かつ親会社から直接指揮監督を受け、子会社が組織的、外形的に親会社の一部門の如き密接な関係を有し、子会社の業務については両者が共同してその安全管理に当り、子会社の労働者の安全確保のためには親会社の協力及び指揮監督が不可欠と考えられ、実質上子会社の被用者たる労働者と親会社との間に、使用者、被用者の関係と同視しできるような経済的、社会的関係が認められる場合には、親会社は子会社の被用者たる労働者に対しても信義則上右労働関係の付随義務として子会社の安全配慮義務と同一内容の義務を負担するものというべきである。

これを本件についてみるに、前記一に認定した諸事情からすると、被告朝日石綿と被告平和石綿とでは企業規模において大きな格差があり、資金面、技術面、原材料の購入と製品の売上面において被告平和石綿は被告朝日石綿に大きく依存しており、昭和四五年五月を境に被告朝日石綿が被告平和石綿の全株式の四割を保有する筆頭株式となり、同年九月一六日付で被告朝日石綿から被告平和石綿へ取締役二名、監査役一名が派遣され、右取締役のうち一名は昭和四六年一月一日付で工場長の地位に就いたことからして、被告朝日石綿は、被告平和石綿を実質的に支配し、被告平和石綿は、被告朝日石綿に従属しているとみることができる。そして、被告朝日石綿と被告平和石綿の従業員との間には直接の雇傭契約関係は存在しないが、被告朝日石綿と被告平和石綿との支配従属関係を媒介として、労務給付の場所、設備、器具類は形式上被告平和石綿の提供したものであるけれども実質上被告朝日石綿から提供を受けたものとみることができる。また、形式上直接の指揮監督は被告平和石綿の山本社長又はその代行である工場長松本好隆によつてなされているが、前記のごとく全面的に被告平和石綿は被告朝日石綿の支配従属下にあるうえ、松本好隆は、もと被告朝日石綿横浜工場の石綿紡織部門の最高責任者であつたもので、横浜工場の石綿紡織部門の移設ともいうべき被告平和石綿新工場の建設の指導と同工場建設後の生産管理を実施すべく、被告朝日石綿から被告平和石綿へ派遣されたものであること、しかも松本好隆は、被告朝日石綿横浜工場製造次長当時、職制上、石綿紡織品担当の責任者である第二業務部長佐藤正夫を通じて被告朝日石綿から指揮命令を受くべき地位にあつたところ、佐藤正夫が被告平和石綿の非常勤取締役の地位をも兼有していることからすると、松本好隆の形式上の地位が横浜工場製造次長から被告平和石綿工場長に変つたにすぎず、実質上松本好隆は佐藤正夫を通じて被告朝日石綿から指揮命令を受ける、被告朝日石綿の工場長としての立場で被告平和石綿の生産管理及び労務管理を担当実施してきたこととなるから、被告平和石綿の従業員は、松本好隆を通じて被告朝日石綿の指揮監督を受けたものとみることができる。更に、被告平和石綿は、外形的には独立した株式会社であるけれども、被告朝日石綿の石綿紡織品の一製造部門と同視しうる密接な関係を有していたから、被告平和石綿の粉じん作業について、除じん設備の改善及び充実、粉じん測定、労働時間短縮等の措置をとるについては、両被告が共同して行わなければその実を挙げることはできず、被告平和石綿の労働者の安全衛生確保のためには被告朝日石綿の協力及び指揮監督が不可欠であつたと考えられる。そうとすると、松本好隆が工場長に就任した昭和四六年一月一日ころ以降につき、被告朝日石綿と被告平和石綿の従業員との間に雇傭契約関係に準ずる労務指揮権の行使に関する法律関係が成立し、被告朝日石綿は、使用者と同視しうる地位にある者として、被告平和石綿の被用者たる従業員に対し、信義則上、右法律関係の付随義務である、被告平和石綿の安全配慮義務と同一内容の義務を負担することとなつたというべきである。

(二) そこで原告ら元従業員のうち、被告朝日石綿が安全配慮義務を負うべき者を検討するに、前記第三の二に認定した事実によると、原告ら元従業員のうち、昭和四六年一月一日ころ以降も被告平和石綿において粉じん作業に従事していた者は、原告高橋二郎、同松本時治、松本清美及び根津知子の四名であり、その余の六名は既に退職していたことが明らかである。

そして、前記第四の一2に認定の被告平和石綿の安全配慮義務の内容及びその不履行の態様からすると、被告朝日石綿は、昭和四六年一月一日ころ以降の被告平和石綿の安全配慮義務の不履行を放置していたものと推認されるから、被告平和石綿と同一の安全配慮義務不履行の責を免れないといわざるをえない。

三因果関係

被告朝日石綿の安全配慮義務の不履行により、原告高橋二郎、同松本時治、松本清美及び根津知子の四名がじん肺に罹患し、更には死亡し、又は重篤な症状に陥つたか否かについて検討する。

被告平和石綿の安全配慮義務の不履行と右原告高橋二郎ほか三名のじん肺罹患更には死亡又は重篤な症状との間に因果関係があることは前記第四の三に判示のとおりである。

しかして、前記第三の二に認定の事実を基に同人らの粉じん作業期間を昭和四六年一月一日の前後に分けてみると、原告高橋二郎は基準日前が約一〇年、基準日後が約五年であり、原告松本時治は前者が約一〇年、後者が約四年、松本清美は前者が約一〇年、後者が約四年で、根津知子の場合には前者が約九年半、後者が約三か月にすぎないことが明らかである。

そうしてみると、前記第三の一に認定のように、じん肺は粉じん曝露が止んだ後も進行するという慢性進行性の特質を有すること及び前記第四の二2に認定の、昭和四六年ころから被告平和石綿の除じん設備が徐々に整備されて浮遊粉じん量が減少しているとの事実を考慮しても、原告高橋二郎、同松本時治及び松本清美については、昭和四六年一月一日ころ以降の粉じん作業と同人らのじん肺罹患又はその症状の増悪との因果関係を肯定でき、この認定に反する証拠はないが、逆に根津知子については右因果関係を認めるに足りないといわざるをえない。

四結論

以上によれば、被告朝日石綿は、原告高橋二郎、同松本時治及び松本清美の三名に対し、雇傭契約と同視しうる労働関係に付隨する債務不履行によつて生じた後記の損害を賠償すべき義務があるというべきである。

第六  被告国の責任

一被告国の損害賠償責任の法的根拠

1原告らは、被告国には粉じん(石綿)恕認限度について適正な粉じん濃度及び労働時間等の基準(安全衛生基準)を設定して労働者の生命健康を確保する義務があり、具体的に当時の国の安全衛生基準ともいうべき旧労安則一七三条の規定「ガス、蒸気又は粉じんを発散する屋内作業場においては、場内空気のその含有濃度が有害な程度にならないように、局所における吸引排出又は機械若しくは装置の密閉その他新鮮な空気による換気等適当な措置を講じなければならない。」、労基法三六条但書で規定する有害な作業についての労働時間延長の規制やじん肺法二一条で規定するじん肺管理区分管理三以上の場合の作業転換勧告義務等では不十分であり、例えば①石綿作業をする際には放射性物質取扱に準じて完全閉鎖式容器の中で遠隔操作で取扱う、②排出される粉じんの許容濃度の具体的な設定をする、③基準内労働においても粉じん作業時間短縮を図る基準を別に設定する、④じん肺については、じん肺所見が認められ次第職場転換を図られるべき基準を設定する等の安全衛生基準を設定すべき義務があり、その根拠として旧労基法四二条が「使用者は、機械、器具その他の設備、原料若しくは材料又は、ガス、蒸気、粉じん等による危害を防止するために必要な措置を講じなければならない。」と規定し、同法四五条がこれを受けて「右使用者が講ずべき措置の基準は、命令で定める。」と規定しているが、その命令で定める安全衛生基準は、同法の目的及び趣旨からして労働者の生命、健康を確保するに足りる適正な基準でなければならないと主張する。

しかしながら、旧労基法四二条、四五条は原告ら主張の義務を規定するものではなく、なお、国は同法四五条の規定によつて授権された範囲においてその裁量により労安則等を制定しているのであるから、原告らの右主張は理由ががない。

2原告らは、被告国には当該事業場が右設定せられるべき安全基準に達しているか否かの安全確認義務があり、具体的に労働基準監督署長及び労働基準監督官は、有害な粉じんを発する当該事業場が安全基準に照らし、有害であるか否かを常に監督し、災害の発生を事前に防止しなければならない義務があり、その根拠として旧労基法五四条の規定が事業主に対し衛生上有害な事業の建設物、設備の設置移転、変更の場合、同法四五条、九六条の規定に基づいて発する命令で定める危険防止等に関する基準に則り定めた計画を工事着手一四日前迄に届出ることを義務付けていること、労基法一〇一条の規定が労働基準監督官に事業場の立入、臨検、帳簿書類の提出、使用者又は労働者に対する尋問の権限を定めていること、じん肺法四二条の規定が労働基準監督官に右権限のほかに関係者に対する質問、帳簿書類の検査、粉じんの測定又は分析の権限を定めていること、同法四〇条の規定がじん肺診査医に粉じん作業を行う事業場への立入、関係者に対する質問、エックス線写真又は診療録その他の物件の検査の権限を定めていることを主張する。

しかしながら、右1で説示したように前記原告ら主張にかかる、被告国の安全基準設定義務を認めえない以上、被告国につき安全基準に達しているか否かの安全確認義務が認められないことはもとより当然であるが、当時の国の定めていた安全基準についてみても旧労基法五四条、一〇一条、じん肺法四二条、四〇条は原告ら主張の義務を規定するものではないから、原告らの右主張は理由がない。

3原告らは、被告国には当該事業場が前記設定せられるべき安全基準に達しない場合に、是正勧告、使用停止等により安全基準を実現して労働者の生命、健康を確保すべき義務があり、具体的に安全基準違反の事実を克明に調査し、是正方法を個別具体的に示し、万全の措置を講ずべく、指導、援助、勧告し、じん肺発生の危険性が予知され、発見された場合には即時かつ完全に是正勧告、使用停止等の措置をとるべき義務があり、その根拠として旧労基法五四条、五五条、一〇三条の各規定は使用者が労基法及び安全基準違反の場合、是正のための指導、助言、勧告をなす権限のあることを当然の前提としているから、国の監督機関は労基法及び安全基準違反の事実を知り又は知りえた事情があるならば、適切かつ有効な助言、指導、勧告等の行政指導により是正せしめ、場合によつては操業の停止、変更を命ずべき義務があると主張する。

しかしながら、右1で説示したように、前記原告ら主張にかかる、被告国の安全基準設定義務が理由がないものである以上、被告国にその安全基準に達しない場合に是正勧告、使用停止等により安全基準を実現して労働者の生命、健康を確保すべき義務が認められないことはもとより当然であるが、当時国の定めていた安全基準についてみても、旧労基法五四条、五五条、一〇三条の各規定はいずれも被告国の権限を定めたものであつて義務を明示したものではないから、後述するように特殊例外的な場合に国の監督権限を行使すべき義務が認められることがあるかどうかは別として、直ちに原告ら主張の義務を規定するものとすることはできず、原告らの右主張は理由がない。

4原告らは、被告国の右1ないし3の注意義務及び作為義務は、これまで国自身が各時期毎に発してきた通達等によつても、実質的に根拠づけられていると主張する。

しかしながら、通達は行政組織の内部的な規範にすぎず、行政の内部的な作為義務を根拠づけることはできても、国民に対する対外的な作為義務を根拠づけるものではないから、原告らの右主張は理由がない。

5原告らは、被告国の監督機関が長期間にわたり被告平和石綿に対し、原告ら元従業員のじん肺発症防止のために監督権限を行使すべき義務がありながら、これを怠つたと主張する。

労基法及びじん肺法によつて国の監督機関に監督権限が与えられているが、一般に行政庁の権限行使は全体として統一と継続性を保つた調和あるものとして行使されるべきものであるから、法令上の権限を具体的に行使すべきかどうか、あるいはどの時期にどのような方法を選択するかは、原則として行政庁の裁量判断に委ねられているのであつて、違法の問題を生じない。しかしながら、行政庁が権限を行使しなかつた場合において、法令が授権した行政権限を行政庁が適正に行使せず、不作為を続けることにより法令が行政庁に権限を授権した意味自体が無意義となるような事態が生ずる特殊例外的な場合には、裁量の範囲を著しく逸脱し、著しく合理性を欠くものとして行政庁にはその権限を行使すべき法的義務があるといわなければならない。そして、右の特殊例外的な場合が如何なる場合であるかを一義的に定めることは困難であるが、当該具体的な事実関係の下において、(a)被侵害法益の重大性及び侵害の切迫性すなわち被侵害法益が生命、身体の安全、健康などの重大性を有する性質のものか及び右法益侵害の危険が切迫しているか、(b)予見可能性すなわち、監督機関が右(a)の重大な法益侵害の危険の切迫を現に予見したか、又は容易に予見しえたか、(c)回避可能性すなわち、監督機関が権限を行使することにより容易に結果の発生を防止することができたはずか、(d)期待可能性すなわち、社会通念上、監督権限の行使を期待し信頼することを至当とする事情があるか、等の諸事情を総合的に考慮して判断すべきである。

二そこで、まず、被告国が被告平和石綿に対し、実施してきた監督指導の状況を検討する。

前記第一の二3の争いのない事実、第二、第三及び第四の二に認定の事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1労基法に基づく監督組織及び監督権限について

(一) 組織

労働省に労働基準局が置かれ、地方には各都道府県ごとに都道府県労働基準局が置かれ、その管轄区域内に労働基準監督署が置かれ、各機関に職員として労働基準監督官が置かれている。

労働基準局長は労働省の内部部局の長であり、大臣の補佐機関であつて、大臣の指揮監督の下に自らの名において下部機関である都道府県労働基準局長を指揮監督し、労働基準に関する法令の制定改廃、労働基準監督官の任免教養、監督方法についての規定の制定及び調整、監督年報の作成、労働基準審議会及び労働基準監督官分限審議会に関する事項等を掌り、所属の官吏を指揮監督する。都道府県労働基準局長は、労働基準局長の指揮監督を受け、管内の労働基準監督署長を指揮監督し、監督方法の調整、労働基準審議会に関する事項等を掌り、所属の官吏を指揮監督する。労働基準監督署長は、労基法を実施する第一線の機関であり、都道府県労働基準局長の指揮監督を受け、労基法に基く臨検、尋問、許可、認可、審査、仲裁等の事項を掌り、所属の官吏を指揮監督する。

(二) 監督権限、監督方法等

(1)労働基準監督官は、行政上の権限として①事業場、寄宿舎その他の附属建設物の臨検、帳簿及び書類の提出要求並びに労使双方に対する尋問の権限、②使用者が就業の禁止をなすべき疾病にかかつた疑のある労働者を検診する権限、③製造禁止の有害物の無償収去の権限があり、司法上の権限として労基法違反(労安法制定施行後は労安法違反も含み、じん肺法制定施行後はじん肺法違反も含む。)の罪について特別司法警察職員として犯罪の捜査等の刑事訴訟法に規定する司法警察員の職務を行うことができる。

監督上の行政措置として①命令で定める危険な事業又は衛生上有害な事業の建設物を設置し、移転し、又は変更しようとする場合には、使用者は労基法に基づいて発する命令で定める危険防止策に関する基準に則つて計画を定め、行政官庁に届出なければならず、右届出を受理した行政官庁は、労働者の安全及び衛生に必要であると認める場合においては、工事の着手を差し止め、又は計画の変更を命ずることができる。②労働者を就業させる事業の建設物、寄宿舎その他の附属建設物若しくは設備又は原材料若しくは材料が、安全及び衛生に関し定められた基準に反する場合において、労働者に急迫した危険があるとき、すなわち、行政官庁の権限行使を待つていては、労働者に実害の発生が予想される場合においては、労働基準監督官は右行政官庁の権限を即時に行うことができる。

(2) 具体的な監督方法としては労働基準監督官が直接個々の事業場に赴き臨検する臨検監督と管内の全事業場ないし同一取締対象となる関係事業場を一堂に集めてする集団指導とがある。

臨検監督は対象事業場に対する労働基準監督官の数等主体的な能力の面での制約下において一部の業種ないしは事業場を重点的に行うものであるが、その中には毎年一定の計画に基づいて実施する定期監督、一定の重篤な労働災害又は火災、爆発事故について発生直後にその原因究明及び同種災害の再発防止のために行う災害調査監督、労働者等からの申告に基づいて実施する申告監督、更には定期監督、申告監督の際発見された法違反の事実が是正されたか否かを確認するために行う再監督がある。なお、監督事業場に法令違反があつた場合の取扱いとしては、原則として直ちに司法処分手続を行うのでなく、是正勧告の指導を行い、再監督で確認するという方法がとられ、再監督の際是正されていない場合にはじめて司法処分手続に移行するという方法がとられている。また、明らかに法令の基準に違反していると認められない場合は、助言、勧告の指導に止まつている。

集団指導としては、毎年四月ころ全事業場を対象にその年の監督指導の基本方針ないし計画についての説明会の開催、新法令が制定された場合に関係事業場を対象に周知徹底を図るための講習会の開催、全国労働衛生週間の際に実施される、その準備期間における実施事項や問題点の指摘と本指導期間における労働基準協会の関係事業場に対する視察等がある。

右の臨検監督や集団指導による監督指導ではなお十分な効果が期待できない場合の方法として衛生管理特別指導制度がある。この制度は昭和二七年労働省労働基準局が企業における労働衛生管理水準の向上を図るために創設したもので、労働者の健康に悪影響を及ぼす有害要因を有する事業場のうち、各都道府県労働基準局長が指導の必要があると認めるものについて衛特事業場として指定し、計画的かつ継続的な指導を加えることにより、作業環境改善や健康管理を的確に行わせ、職業性疾病の予防を図ろうとするものである。監督指導の運用の概要は、労安法施行までの旧実施要綱によれば、①都道府県労働基準局長による事業主に対する本制度の趣旨の周知、②労働基準監督署長による総合監督の実施と衛生上の問題点の把握、③同署長による事業主に対する改善計画の作成指示、④同署長による提出された改善計画に基づく実施状況の監視、必要により計画の追加若しくは修正措置、⑤同署長又は同局長による監督又は個別指導の実施(年間原則として四回とし、その際(ⅰ)粉じん対策指導委員、労働衛生指導医の活用、(ⅱ)職業病健康診断の実施、(ⅲ)局所排気装置の普及、(ⅳ)保護具の使用の徹底について配慮する。)、されている。

2山本特紡所ないし被告平和石綿に対する監督の経過

(一) 昭和三二年から昭和三九年まで

(Ⅰ) 長野県労働基準局管内における適用事業場数は昭和三〇年ころで約二万一〇〇〇、昭和三七年ころで約三万二〇〇〇、労働者数は昭和三〇年ころで約二一万八〇〇〇人、昭和三七年ころで約三七万四〇〇〇人であり、管内における労働基準監督官数は三七ないし四二名位であつた。

山本特紡所ないし被告平和石綿の所在地を管轄区域とする篠ノ井労働基準監督署(昭和四九年に長野労働基準監督署に統合され、長野労働基準監督署篠ノ井庁舎となつた。)の職員数は署長以下八名、そのうち労働基準監督官は署長以下三名であつた。

長野県労働基準局の監督指導の重点は、昭和三〇年代前期においては①女子、年少者の長時間労働及び深夜業排除、②全産業における週休制の普及、③建設業の労働災害防止、④産業災害防止総合五か年計画の推進、⑤健康診断の実施促進、⑥有害環境の改善と保護具の使用奨励、⑦ベンゼン中毒の予防であり、昭和三〇年代後期においては①女子、年少者の労働時間等に関する最低基準の遵守、②自動車労務員の労働条件の改善、③週休制確立等の促進指導、④最低賃金制度の普及指導、⑤中小企業労務管理近代化対策の推進指導、⑥新産業災害防止総合五か年計画の推進、⑦労働衛生関係法規の整備充実に伴う監督指導の強化、⑧じん肺法の施行、⑨衛生管理体制の確立と特殊健康診断の実施勧奨であつた。特にじん肺法の施行に関しては、施行当初のころにおいて法令の周知及び対象事業場の把握に努めるとともに、①粉じんの発散の抑制、②保護具の使用、③じん肺健康診断の実施を重点にその啓蒙指導を実施し、法令の周知の手段として関係資料を添付して法令の趣旨を対象事業場に通知するとともに広報活動及び説明会、各種集会を開催したり、業界団体の会合等の機会を利用して指導した。

(Ⅱ) 長野県労働基準局、篠ノ井監督署が山本特紡所ないし被告平和石綿に対し、じん肺の予防に関連して実施した監督指導は以下のとおりである。

(1) 昭和三三年二月一二日定期監督により女子の法定時間外労働について是正勧告の指導をした。

(2) 昭和三五年本省からの通達(同年基発第三三一号)に基づきじん肺法の制定に伴ない、山本特紡所ないし被告平和石綿を含む関係事業場に対し、じん肺法の説明会を開催し、(ⅰ)粉じんの発散の抑制、(ⅱ)保護具の着用、(ⅲ)じん肺健康診断の実施等じん肺の予防対策についての集団指導を実施した。

(3) 昭和三六年から昭和三九年にかけて毎年九月ころ全国労働衛生週間の準備期間の際に、被告平和石綿を含む関係事業場に対し、労働衛生についての集団指導を実施し、特に昭和三六年には粉じんの測定方法を、昭和三七年には防じんマスクの規格の改正等について説明した。

(4) 昭和三八年一〇月四日定期監督により①有害な粉じん作業場であることを認識させるための粉じん測定の実施、②完全防じんマスクの使用、③じん肺健康診断の実施、④衛生管理者の選任、⑤リング精紡機除じん装置の取付について是正勧告の指導をした。これに対し、被告平和石綿は、同年一二月二七日付で①粉じん測定の実施、②完全防じんマスクの使用、③じん肺健康診断の同年一一月一日実施、④衛生管理者選任除外許可申請書を同年一二月二四日提出、⑤リング精紡機の除じん装置については機械入替のため昭和三九年一月一〇日までに実施予定との是正報告書を提出した。なお、被告平和石綿は、同年一二月スポンジの防じんマスク四〇個を備付け、同年一一月一日から毎年じん肺健康診断を実施し、衛生管理者選任除外許可を得た。

(Ⅲ) 被告平和石綿における従業員のじん肺発症の状況

昭和三九年二日七日付で武とよがじん肺管理区分管理四と決定された。

他の原告ら元従業員のうち未受診の根津知子を除く八名の者はじん肺健康診断の結果いずれも正常であつた。根津知子も昭和四四年六月三日付のじん肺健康診断の結果正常であつた。

(二) 昭和四〇年から昭和四四年まで

(Ⅰ) 長野県労働基準局管内における昭和四二年ころの適用事業場数は約五万二〇〇〇、同じく労働者数は約五三万二〇〇〇人であり、同じく管内の監督署における労働基準監督官数は四四ないし四六名であつた。

篠ノ井監督署管内の適用事業場数は約四四〇〇(そのうち粉じん対象事業場数は三〇ないし四〇)、労働者数は約四万ないし五万人であり、同署の職員数は署長以下九名、そのうち労働基準監督官数は署長以下三名(但し、昭和四四年のみ一名増加)であつた。

長野労働基準局の監督指導の重点は、①自動車運転者の労働時間等の改善、②有害業務の労働時間の制限、③年少労働者の保護対策、④最低賃金制の推進、⑤新産業災害防止五か年計画(第二次)の成果と第三次計画の推進、⑥労働衛生関係の監督指導の強化であつた。特に右⑥については、(ⅰ)産業安全衛生施設等特別融資制度の活用、(ⅱ)労働衛生指導医の活用、(ⅲ)衛生管理者選任義務の拡大、(ⅳ)じん肺対策としてなおも粉じん作業を有する事業場の把握と粉じん作業を有する事業場に対して従前のじん肺健康診断、作業環境改善、防じんマスクの使用、粉じん測定の勧奨指導のほか、新たに重点事項としてじん肺管理区分管理三に該当する者の作業転換及び健康管理促進、残業時間の制限を加えた。

(Ⅱ) 篠ノ井監督署が被告平和石綿に対し、じん肺の予防に関連して実施した監督指導は以下のとおりである。

(1) 昭和四一年五月一二日定期監督により①男女労働者の法定時間外労働(労基法三六条但書の有害業務に対する規制を含む。)及び休日労働、②女子労働者の深夜労働、③粉じん防止のための局所排気装置が不完全である等の違反に対して是正勧告の指導をした。なお、右①、②については賃金台帳につき二重帳簿を作成してその発覚を免れようとした形跡が認められた。

(2) 昭和四一年八月五日ころ、女子の法定時間外労働について投書があり、夜間内偵を実施したところ、女子四名につき法定時間外労働の事実を確認した。更に、同年九月五日の再監督の際、労働時間につき未是正の疑いがあり、引続き夜間内偵を実施するとともに退職者の根津岩子ら五名を訪ねて調査したところ、賃金台帳につき二重帳簿を作成して法定時間外労働の事実を隠蔽していることを確信するに至つたので、同年一一月一日労基法六一条違反の疑いで強制捜査を実施し、同年同月一四日被告平和石綿、山本社長、原告高橋二郎工場長、市川啓夫労務課長を右違反の被疑者として長野地方検察庁に送致した。その結果略式起訴があり、被告平和石綿が罰金五万円の、山本社長が罰金五万円の、原告高橋二郎工場長が罰金二万円の各略式命令を受けたが、市川啓夫労務課長は起訴猶予処分となつた。

(3) 昭和四二年一〇月二日安全衛生担当の第二課長が全国労働衛生週間の査察指導を実施し、労働衛生上の指導をした。

(4) 昭和四三年一月一六日定期監督により①定期の健康診断を年二回実施すべきであるのに一回しか実施していない、②事業場設置(増設)届未提出について是正勧告の指導をし、更に除じん装置を速やかに稼動するように措置すべき旨指導票を交付して指導した。

(5) 同年八月一六日保全係長小松元義が作業中負傷したことによる災害調査監督を実施した際、①安全管理者選任報告未提出、②同人に三六協定の範囲を超える時間外労働をさせていることについて是正勧告の指導をし、更に安全管理者の職務の励行、安全管理体制の確立等について指導票を交付して指導した。

(6) 同年秋ころの全国労働衛生週間実施の際、本省の通達(同年基発第六〇九号)に基づき、労安則一七三条の適用上粉じん抑制のため通常局所排気装置による措置を講ずる必要のある作業場として石綿関係の作業場が明示されたことを被告平和石綿を含む関係事業場に告知した。

(7) 昭和四四年三月二七日従業員から休日労働をさせている旨の投書に基づき、申告監督を実施した。その結果、休日労働の事実は判明しえなかつたが、①三六協定なしの男女労働者の法定時間外労働、②石綿作業従事者の非検定品防じんマスクの使用、③昭和四一年一一月以降粉じん作業従事者の雇入時じん肺健康診断の未実施について是正勧告の指導をし、特に防じんマスクについては特級又は一級の検定合格品のものを備付けて使用させるとともに防じんマスクを着用したがらない従業員に対し、安全衛生委員会の運営をも含めて実質的な安全衛生教育を行うよう指導した。これに対し、被告平和石綿から同年四月二八日付で①三六協定書提出、②防じんマスクについて検定合格品を支給した、③じん肺健康診断は指導のとおり実施した旨の是正報告がされた。

(8) 同年五月九日右(7)の申告監督の是正状況確認のため再監督を実施した。その結果、検定合格品の防じんマスクが三九個備付けられていることを確認したが、不着用者があつたので更に着用を励行させるとともに個数が不足していたので補充するよう指導した。なお、精紡工場に設けた局所排気装置について事業場設置変更届出が未提出であつたので是正勧告の指導をした。

(Ⅲ) 被告平和石綿における従業員のじん肺発症の状況

昭和四〇年一月二五日武とよがじん肺により死亡し、同年二月二四日遺族補償請求がされた。また、昭和四〇、四一年のころ武とよ以外に四名がじん肺管理区分の決定(管理一が三名、管理二が一名)を受けた。

他の原告ら元従業員のうち、原告高橋二郎、同高橋次郎、同松本時治、松本清美、小山貴一及び根津知子の六名は、いずれも昭和四四年度のじん肺健康診断の結果正常と診断され、右年度受診しなかつた者のうち、根津岩子は、昭和四二年度のじん肺健康診断の結果正常と診断され、田中元女及び中島九一は、いずれも昭和四一年度のじん肺健康診断の結果正常と診断された。

(三) 昭和四五年から昭和四九年まで

(Ⅰ) 長野県労働基準局管内における昭和四九年ころの適用事業場数は約五万六〇〇〇、同じく労働者数は約六二万三〇〇〇人であり、同じく管内の監督署における労働基準監督官数は四一ないし四三名であつた。

篠ノ井監督署管内の昭和四九年度の適用事業場数は約四三〇〇(そのうち粉じん対象事業場数は六〇)、労働者数は約五万人であり、同署の労働基準監督官は署長以下三名であつた。

長野県労働基準局の監督指導の重点は、①労働条件の立ち遅れている分野の監督指導、②自主点検制度による労働条件の改善、③最低賃金の改正及び履行確保のための監督指導、④家内労働対策の推進、⑤第三次労働災害防止五か年計画の成果と第四次計画の推進、⑥労働衛生特別監督の実施、⑦労安法の普及、⑧労働福祉対策の推進であつた。労働衛生対策として、①旧特化則が制定せられ、同規則が石綿作業について使用者に対し、局所排気装置の設置と性能の確保、除じん装置の設置、作業主任者の選任、作業環境測定の実施、呼吸用保護具の備付け、特殊健康診断の実施を義務付けるとともに局所排気装置の性能基準としてフードの外側における石綿粉じんの濃度を労働大臣の告示に委任し、同規則の規定に基づき労働大臣が定める値を定める告示(昭和四六年労働大臣告示第二七号)は二・〇mg/m3と定めていた。そこで、同規則及び右告示の周知を図るため、広報活動を行うとともに、対象事業場関係者を集めて説明会を開催したほか、事業者団体の会合等あらゆる機会を利用して啓蒙指導を行つた。その後、本省の通達(同年基発第四〇七号)で五ミクロン以上の繊維の数で五繊維/cm3(これに対応する重量濃度はおよそ〇・三〇mg/m3である)とする旨指示されたので、前同様の指導を行つた。②昭和四六、四七年と二回にわたり、全国一斉監督指導を実施した。③長期的監督指導計画の推進、④特殊健康診断の実施促進、⑤昭和四七年一一月ころ労安法の周知を図るため、説明会を産業別事業者団体単位に開催し「労働安全衛生法」(全文)を無料配布したほか、資料として「あたらしい労働安全衛生法のあらまし」なる表題のパンフレットを作成し啓蒙指導や広報活動に努め、また労働安全衛生融資制度の創設に伴い、中小企業における労働衛生関係の設備改善に利用するよう指導した。

(Ⅱ) 長野県労働基準局長、同局労働基準監督官、篠ノ井監督署が被告平和石綿に対し、じん肺の予防に関連して実施した監督指導は以下のとおりである。

(1) 長野労働基準局長は、昭和四五年四月一〇日被告平和石綿を、石綿取扱事業であり、過去にじん肺所見者が出現したこと、過去の除じん対策が不十分であることに鑑み、衛特事業場に指定し、管内の指定事業場二四社を招集して衛特事業場打合会を開催し、指定の趣旨、事業場における安全衛生管理体制の確立、職場環境の改善、職業病対策、健康診断の実施、安全衛生融資制度の活用等について説明し、安全衛生改善計画書の作成方法について指導した。なお、篠ノ井監督署管内では右指定を受ける事業場数は通例、二事業場とされていた。

(2) 昭和四五月五月二七日衛特事業場として定期監督を実施した。その結果、①三六協定なしの男女法定時間外労働、②有害業務従事者の原告松本時治に対し、労基法三六条但書の制限を超える時間外労働、③非医師の衛生管理者未選任について是正勧告の指導をし、更に、①除じん装置の機能が十分であると認め難いので除じん装置六基を一一基にするという設備増設計画を速かに実施に移すとともに、現時点での精紡工場の除じん装置は特に能力が劣るので設備改善までの間モーターの馬力アップ、フードの取付等の措置を講ずる、②じん肺健康診断の完全実施を図るため、個人別の実施計画及び結果台帳を作成し、法定の実施時期、回数を充足するようにするとともに、臨時工についても実施もれのないよう配慮すること、③未選任の非医師の衛生管理者について同年六月の資格試験に合格し選任できるよう事前の講習会に参加させる、④衛生管理者に対しては安全衛生規則所定の職務ができるよう権限を与え、日常活動が出来るよう配慮する等指導票を交付して指導した。同年六月、二名の者が衛生管理者の資格試験に合格し、衛生管理者に選任された。

(3) 除じん装置等を取付けるための約一九〇〇万円の産業安全衛生施設にかかる特別融資の申込に際しての証明願が提出され、篠ノ井監督署長はこれを証明した。

(4) 同年一〇月八日有害物取扱事業場に対する一斉監督を兼ねて衛特事業場として定期監督を実施した。その結果、①労基法三六条但書の有害業務に関する時間外労働、②防じんマスクの備付、使用の未履行、③従業員島田恒太郎に対する雇入時のじん肺健康診断未実施について是正勧告の指導をし、なお、昭和四六年三月までに作業環境が大幅に改善される見とおしがあつたので、それまで防じんマスクの完全着用を図るべく、現在使用中のTSOR―一二型より軽量で呼気抵抗の少いものを選定使用するよう指導した。

(5) 昭和四五年四月から昭和四六年三月まで技官等により二回にわたり衛特事業場として監督指導をした。

(6) 長野県労働基準局長は、昭和四六年四月六日、被告平和石綿を引続き衛特事業場に指定し、同年同月二二日管内の指定事業場二四社を招集して衛特事業場打合会を開催し、前年と同様の集団指導を実施した。

(7) 同年同月二〇日衛特事業場として定期監督を実施した。同年三月除じん設備が完成し、従前と比較してその環境が一新していることが認められた。また、同年四月五日に死亡した根津岩子の死因と業務との関係を調査した。その際、昭和四一年以降のじん肺健康診断の実施状況について全従業員六一名、退職者四八名を対象に調査した。その結果、時期、回数については法定のとおりであるが、じん肺健康診断で胸部エックス線写真撮影の結果エックス線写真像が第一型と診断された者についてじん肺管理区分の申請がなされていないことが判明し、じん肺健康診断の事後措置を十分に行うよう指導した。

(8) 同年九月一三日特定化学物質等取扱事業場に対する一斉監督指導を実施した。その際、工場内で最も粉じん量が多いと認められた混綿工場内の石綿粉じん気中濃度の測定を実施したところ、二・一六mg/m3であり、旧特化則による規制値を〇・一六mg/m3上回つていたが、右規制値が適用される昭和四七年五月一日までには下回りうると判断し、その改善を指導した。

(9) 昭和四六年四月から昭和四七年三月まで技官等により二回にわたり衛特事業場として監督指導した。

(10) 長野労働基準局長は、昭和四七年四月二五日、被告平和石綿を前年に引続き衛特事業場に指定し、同年六月管内の指定事業場二五社を招集して衛特事業場打合会を開催し、指定の趣旨、粉じん等に基づく職業病発生の予防対策、環境改善の方法、健康管理、粉じん等有害物の許容濃度の勧告、保護具の種類と取扱方法、労働安全衛生融資制度の活用等について説明し、改善計画書の作成方法について指導した。これに対し、同年七月改善計画報告書が提出された。

(11) 同年九月一二日衛特事業場として局署合同監督を実施した。その際、デジタル粉じん計で粉じん濃度を測定した結果、旧特化則による規制値二・〇mg/m3以下であり、環境改善のあとがうかがわれた。しかし、精紡機三基について局所排気装置が未設置であり、旧特化則四条、旧労基法四二条違反を理由に同法五五条に基づく変更命令(同年一二月二〇日を期限とする)をした。また、①精紡機の局所排気装置の取付位置の変更、②梳綿機、織布機のフードの構造の改善、③床面の粉じん除去による二次粉じん発散の防止、④粉じん発散の多い作業箇所について集じん効率のよい検定合格品の防じんマスクの着用、⑤就業時のじん肺健康診断実施の履行等について指導した。なお、右変更命令の対象となつた精紡機三基は昭和四八年六月に是正された。

(12) 昭和四七年一一月右(10)の集団指導の結果被告平和石綿は長野労働基準局長に対し、安全衛生改善計画の届出をし、その事項中には、①梳綿局所排気装置のフード改造、②精紡機一ないし三号の除じん装置増設及び改造、③精紡機七、八号の除じん装置改修、④織布機に設置された除じん装置のフード改造、⑤集じん機新設とあり、右届出に改善融資を受ける旨の認証願が添付されていたところ、同年一二月一五日付で認証された。

(13) 昭和四八年三月二二日衛特事業場として局署合同監督を実施した。その際、①精紡機の局所排気装置のフード、ダクトにつき、検査点検不良のため粉じん堆積が著しく効率が低下しているので点検を実施する、②粉じんの二次発生を防止するため床面に散水するか、電気掃除機を用いて集じんする、③精紡機のフードの取付位置の改善について指導した。

(14) 長野県労働基準局長は、昭和四八年四月、被告平和石綿を前年に引続き衛特事業場に指定し、同年五月前年同様の集団指導を実施した。

(15) 昭和四八年六月下旬衛特事業場として定期監督を実施した。その結果、精紡機一基について局所排気装置が未設置であり、同年七月末日を期限とする変更命令をした。また、①精紡作業場の環境が不良であるので精紡作業場を重点に(ⅰ)リング撚糸機一台ごとに一連のスピンドルフードを設け、集じん効率を高める、(ⅱ)粉じんの二次発生を防止するための移動式の吸じん機、電気掃除機等を設置し、常時清掃する、②保護マスクについてはガーゼ式マスクを止め、検定合格品であるサカ井式S型に統一すること、③同年同月二〇日に提出された衛生管理実施計画については安全衛生融資あり次第、可及的速やかに実施する、との指導をした。なお、その際被告平和石綿が測定した粉じん濃度を確認したところ、全て規制値を下回つていた。

(16) 被告平和石綿は、右衛生管理実施計画を実施するために必要な安全衛生融資を受けるための証明願を申請し、同年八月二三日右証明を経て、四〇〇〇万円の融資を受け、同年一〇月衛生関係の設備改善工事に着工した。

(17) 同年一〇月一一日衛特事業場として定期監督を実施し、右衛生関係の設備を改善中であることを確認するとともに、局所排気装置について一年一回以上定期の自主検査の実施がなく、記録の保存がないことについて是正勧告の指導をした。

(18) 長野県労働基準局長は、昭和四九年四月被告平和石綿を前年に引続き衛特事業場に指定し、前年同様の集団指導を実施した。

(19) 昭和四九年九月一〇日衛特事業場として定期監督を実施した。その際、前年一〇月ころから安全衛生融資を受けて改善中であつた局所排気装置等の設備が昭和四九年四月末日ころまでに完成していること及び粉じん濃度が被告平和石綿の測定記録で平均〇・四mg/m3であることを確認した。監督の結果、①雇入時及び三年以内の定期のじん肺健康診断についての実施もれ、②梳綿作業従事者で労基法三六条但書の有害業務に関する法定時間外労働等について是正勧告の指導をし、更に①精紡機粉じんのフィルターについて粉じんもれをなくす、②防じんマスクの着用の徹底等について指導した。

(Ⅲ) 被告平和石綿における従業員のじん肺発症の状況

(1) 昭和四五年八月一〇日付で原告高橋次郎及び中島九一がいずれもじん肺管理四と決定され、そのうち中島九一は同年一〇月一二日じん肺により死亡した。そのころ、篠ノ井労働基準監督署長は右死亡事実を知つた。

(2) 昭和四六年四月五日根津岩子がじん肺により死亡した。同年六月七日田中元女がじん肺により死亡した。前記監督署長は、そのころ、右死亡事実を知つた。

(3) 昭和四七年一一月一日付で原告松本時治ほか一四名が新たにじん肺管理区分の決定を受けた(管理四は三名、管理三は六名、管理二は四名、管理一は一名である。)。

(四) 昭和五〇年から昭和五一年まで

(Ⅰ) 長野県労働基準局管内における昭和五二年ころの適用事業場数は約五万八〇〇〇、同じく労働者数は約六三万七〇〇〇人であり、管内の監督署における労働基準監督官は約四二名であつた。

長野労働基準監督署篠ノ井庁舎に配置された労働基準監督官は次長以下三名であつた。

長野県労働基準局の監督指導の重点は、①恒常的長時間労働の排除等最低労働条件の確保、②申告事件の早期処理と未払賃金立替払制度の活用、③労安法の全面施行に伴なう労働災害防止の一層の強化、④労働衛生関係法規及び指導指針の整備充実に伴う監督指導の強化、⑤特別監督指導計画の推進であつた。労働衛生対策として、労働衛生関係法規及び指導指針の整備充実に伴う監督指導の強化が挙げられる。すなわち、昭和五〇年に作業環境測定法が施行されたほか、新特化則の一部改正により対象物質の追加、抑制濃度の変更、作業主任者選任範囲の拡大となつた。そして、右改正後の特化則の規定に基づき労働大臣が定める値を定める告示(同年労働大臣告示第七五号)により石綿粉じん濃度が二〇mg/m3から五繊維/cm3に改正された。昭和五二年にはじん肺法がじん肺と合併症の定義及び区分の明確化、健康診断の検査項目並びにじん肺管理区分等について改正され、また労安法も一部改正された。これら改正法令の周知に努めるとともにそれに基づき監督指導した。また、昭和五一年には本省の通達(同年基発第四〇八号)に基づき、(ⅰ)石綿代替措置の促進、(ⅱ)環気中濃度を二繊維/cm3とする、(ⅲ)密閉設備又は有効適切な局所排気装置の設置、改善、(ⅳ)適格な防じんマスクの着用、(ⅴ)清潔の保持、(ⅵ)自動車ブレーキ修理従事者の対策について前記改正後の特化則の遵守とあわせて監督指導をした。

(Ⅱ) 長野県労働基準局長、同局労働基準監督官、長野監督署(篠ノ井庁舎)が被告平和石綿に対し、じん肺の予防に関連して実施した監督指導は以下のとおりである。

(1) 長野労働基準局長は、従前の職場環境改善により一定の成果が認められたものと判断して昭和五〇年度については被告平和石綿を衛特事業場として指定しなかつた。

(2) 昭和五〇年一〇月二日定期監督を実施した。その結果、混綿機前とチーズワインダー二台につき局所排気装置を設けるよう労安法九八条に基づき変更命令をした。また、①防じんマスクの検定合格品使用、②要心肺機能検査者で再検査未実施の者に対する再検査実施、③新特化則改正に伴う六か月に一回の石綿健康診断の実施、④特定化学物質等作業主任者の選任、⑤局所排気装置のダクトの清掃等について指導した。

(3) 昭和五一年三月五日石綿粉じん対策を見直し、医学的見地から職場の衛生管理の実態を明らかにするため、労働衛生指導医を同行し、局署合同監督を実施した。その結果、混綿機関係二か所、インター二台、丸打機七台、管巻機三台、チーズワインダー一台について局所排気装置を設けるよう労安法九八条に基づく変更命令を実施した。また、①産業医の未選任、②精紡機の局所排気装置が未稼動、③石綿取扱作業従事者に関する記録なし、④就業時のじん肺健康診断の未実施、⑤特別管理物質取扱作業場に物質の名称、人体に及ぼす作用等法定事項を作業従事者の見やすい箇所に掲示していない、⑥じん肺管理区分管理二又は三の従業員八名に対し、定期じん肺健康診断未実施、⑦じん肺健康診断の結果じん肺の診断を受けた者について資料未提出等について是正勧告の指導をした。更に、①じん肺健康診断関係について確実な実施と記録の保存等、②作業環境測定について方法と記録の保存、③局所排気装置の整備、④石綿取扱従事者に対する、労基法三六条但書の法定時間外労働禁止の遵守と法定内での残業の禁止、⑤休息室の整備、⑥安全衛生委員会の設置と安全衛生管理体制の確立、⑦特別管理物質の法定事項の掲示、⑧作業記録の記載方法と保存、⑨安全衛生教育は就業時及び定期に石綿の有害性及び取扱方法並びに局所排気、保護具の性能及び取扱方法について理解させる、⑩防じんマスクは検定合格品の特級又は一級を用いる、⑪退職者で従前じん肺所見の認められた者一六名につき追跡調査を実施する等について指導した。

(4) 長野労働基準局長は、昭和五一年四月一六日被告平和石綿を再び衛特事業場に指定し、同年同月二三日管内の指定事業場三六社を招集して衛特事業場打合会を開催し、指定の趣旨、衛生管理特別指導事業場における実施事項及び留意事項、安全衛生融資制度、じん肺健康診断等について集団指導した。なお、長野労働基準監督署篠ノ井庁舎管内で指定を受けた事業場数は三であつた。同年五月に長野県労働基準局長から、①混綿、梳綿間の混合綿運搬供給方法の改善、②梳綿の発じん防止装置の改善、③管巻機、合撚機及び仕上機について局所排気装置の設置、④製品のダストフリー加工機の新設を内容とする安全衛生改善計画作成指示書が交付され、被告平和石綿は同年六月、右指示に基づき安全衛生改善計画書及び右改善計画に関する認証願を提出した。

(5) 昭和五一年八月一〇日日本共産党国会議員団等が長野県労働基準局長に対し、使用者にじん肺の管理区分の決定通知を義務付けたじん肺法一四条等違反の事実を指摘し、被告平和石綿に対し適切な措置をとるよう要請した。これに応じて、長野監督署は右被疑事件について捜査を開始した。

同年九月被告平和石綿の従業員で組織している親睦会から被告平和石綿に対し、法規に基づくじん肺健康診断の完全実施及びじん肺健康診断の結果について申入があり、右申入に対し了承の回答があつた。

(6) 同年八月二三日前記(3)の定期監督の際、指摘した事項について是正状況を確認するため再監督を実施した。その結果、設備関係について一部未是正部分はあつたが、安全衛生に関する施設につき融資手続中であつたので是正期日延期願を提出させ、同年一二月未是正部分が是正された旨の報告を受けた。

(Ⅲ) 被告平和石綿における従業員のじん肺発症の状況

(1) 根津知子は、昭和五〇年三月七日付でじん肺管理区分管理四と決定され、同年同月一八日じん肺により死亡した。長野労働基準監督署長はそのころ右死亡事実を知つた。松本清美は、同年五月八日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

(2) 原告高橋二郎は、昭和五一年五月三一日付でじん肺管理区分管理四と決定された。小山貴一は、同年三月一四日付でじん肺管理区分管理三と決定され、同年九月二六日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

以上の事実が認められる。

〈反証排斥略〉

三次に、長野労働基準局長、同局労働基準監督官、長野、篠ノ井各監督署長及び同署労働基準監督官(以下「監督機関」という。)の監督権限の行使が、裁量の範囲を著しく逸脱し、著しく合理性を欠いたものであつたか否かを検討する。

1法益の重大性及び危険の切迫性

(一) 被侵害法益の種類性質

前記第三の一の認定事実によると、じん肺は粉じんを吸入することによつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病であり、この線維増殖によつて肺胞部分を埋められ、肺の機能であるガス交換が低下させられ、更にそれに併う心機能の低下により死亡するに至ること、合併症として気管支炎、急性肺炎、肋膜炎、肺気腫、特発性気胸、気管支拡張症、肺結核等がある(全身疾患性)こと、経過として右の線維増殖が粉じん曝露から離脱した後も進行する(慢性進行性)とともに、一旦形成された線維増殖を停止せしめ、正常組織に復元させる根本的治療方法が確立されていない(不可逆性)ことなどから、じん肺による健康障害は極めて重大であることが明らかである。

(二) 右法益侵害の危険の切迫性

(1) 山本特紡所ないし被告平和石綿の作業環境の推移について

前記第三の一に認定したように、じん肺は粉じんの吸入によつて生じるものであり、じん肺による健康障害が、個人差はあるものの、一般的には吸入粉じん量に影響されるものであることからすると、山本特紡所ないし被告平和石綿の作業環境の危険性の程度は、粉じん曝露量の要素としての浮遊粉じん量及び作業時間と粉じん吸入の阻止要素としての防じんマスクの着用との相関関係によつて主として決定されると考えられる。

そこで、山本特紡所ないし被告平和石綿における(ア)浮遊粉じん量、(イ)作業時間、(ウ)防じんマスクの着用の状況をみるに、前記第四の二の認定事実によると、(ア)浮遊粉じん量については昭和四二年ころからの除じん設備の改善により日時の経過とともに徐々に減少はしてきてはいるが、昭和四六年までは軽視しえない有害な状態であつたこと、(イ)作業時間については昭和四九年の一時期を除き慢性的かつ恒常的に時間外労働が行われ、有害な状態が続いていたこと、(ウ)防じんマスクの着用については、備付は昭和三七年ころまでは一般の従業員に対しては皆無であり、その後徐々に数を増やして昭和四一年ころ全従業員数に見合うまでになつたが非検定品であり、検定合格品となつたのは昭和四四年五月ころであつたこと、備付の有無にかかわらず一部従業員は非検定品やガーゼマスクを着用していたことから、備付自体についていえば昭和四四年五月ころまで有害な状態にあつたが、検定合格品を着用しない作業従事者にとつては一定して有害な状態が続いていたことが明らかである。

(2) じん肺罹患者の山本特紡所ないし被告平和石綿における粉じん作業への従事並びにじん肺の診断及び管理区分決定の経過についてみるに、前記第三の二の認定事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

①武とよは、昭和三二年四月ころから昭和三八年の四月ころまでの約六年間山本特紡所ないし同被告の粉じん作業に従事し、昭和三八年九月一七日じん肺に罹患していると診断され、昭和三九年二月七日付でじん肺管理区分管理四と決定され、昭和四〇年一月二五日じん肺により死亡した。

② 原告高橋次郎は、昭和三九年三月二四日から昭和四五年三月までの約八年間同被告の粉じん作業に従事し、昭和四五年三月一八日じん肺に罹患していると診断され、同年八月一〇日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

③ 中島九一は、昭和三六年四月二日から昭和四二年七月五日までのうち、二か月間の休職期間を除いた約六年一か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和四五年三月一八日じん肺に罹患していると診断され、同年八月一〇日付でじん肺管理区分管理四と決定され、同年一〇月一二日じん肺により死亡した。

④ 根津岩子は、昭和三二年四月ころから昭和四五年四月ころまでのうち、約四か月間の中途退職及び休職期間を除いた約一二年八か月間山本特紡所ないし同被告の粉じん作業に従事し、昭和四六年四月五日じん肺により死亡した。

⑤ 田中元女は、昭和三七年三月二七日から昭和四二年五月ころまでの約五年一か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和四五年四月八日じん肺に罹患していると診断され、昭和四六年六月七日死亡し、同年六月九日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

⑥ 原告高橋二郎は、昭和三六年二月二八日から昭和五〇年一二月上旬までのうち、合計約一年半の休職期間を除いた約一二年三か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和四六年一二月四日じん肺に罹患していると診断され、昭和四七年一一月一日付でじん肺管理区分管理二と決定され、昭和五一年五月三一日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

⑦ 原告松本時治は、昭和三六年八月六日から昭和四九年一二月三〇日までの約一三年四か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和四六年一二月二四日じん肺に罹患していると診断され、昭和四七年一一月一日付でじん肺管理区分管理四と決定された。

⑧ 根津知子は、昭和三三年夏ころから昭和四六年四月五日までのうち、合計約四年間の中途退職期間を除いた約八年八か月間山本特紡所ないし同被告の粉じん作業に従事し、昭和四九年九月じん肺に罹患していると診断され、昭和五〇年三月七日付でじん肺管理区分管理四と決定され、同月一八日じん肺により死亡した。

⑨ 松本清美は、昭和三六年八月六日から昭和四九年三月三〇日までの約一二年七か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和五〇年三月じん肺と診断され、同年五月八日付でじん肺管理区分管理四と決定され、昭和五四年一月二四日じん肺により死亡した。

⑩ 小山貴一は、昭和三六年一一月二六日から昭和四五年八月三〇日ころまでのうち、約六か月間の休職期間を除いた約八年三か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和五一年じん肺と診断され、昭和五二年三月一四日付でじん肺管理区分管理三と、同年九月二六日付でじん肺管理区分管理四と決定され、昭和五八年二月一七日じん肺により死亡した。

⑪ 市川啓夫は、昭和三六年一月以降同被告の粉じん作業に従事し、昭和五三年一二月付でじん肺管理区分管理二と決定された。

⑫ 高橋浜子は、昭和三五年八月以降山本特紡所ないし同被告の粉じん作業に従事し、昭和五一年一二月付でじん肺管理区分管理二と決定された。

⑬ 林らくは、昭和三七年八月から昭和四九年一一月二〇日までのうち、約一年七か月間を除いた約一〇年一〇か月間同被告の粉じん作業に従事し、昭和五一年八月じん肺に罹患していると診断された。

⑭ 平田かね子は、昭和三九年一二月以降同被告の粉じん作業に従事し、昭和五二年八月付でじん肺管理区分管理二と決定された。

(3) 右(1)及び(2)の事実に前記第三の一で認定したじん肺の性質をあわせ考えるに、山本特紡所ないし被告平和石綿における作業環境は、総じて時間外労働や防じんマスクの着用の徹底の点を除くと、除じん設備の改善や防じんマスクの備付によつて日時の経過につれて相対的には良好となつていつたが、時間外労働従事者や検定合格品防じんマスクを着用しない者にとつては有害な状態が解消されたことはなく、山本特紡所ないし同被告における労働者は、粉じん作業に従事していたその各時点における有害な状態が相当期間継続し、かつ累積することによつてじん肺に罹患し、かつその症状が悪化する危険にさらされていたものということができる。そして、右の危険の切迫性は、当該時点における有害度が重ければ重いほど、またその期間が長ければ長いほど強まるものということができる。

2予見及び回避の可能性並びに期待可能性について

(一) 昭和三二年四月から昭和三八年まで

まず、国の監督機関に要求されるべき前記第三の一のじん肺についての基礎知識を前提として(以下、監督機関のじん肺罹患に対する予見ないし予見可能性を論ずるときは、このことを前提とする。)、監督機関の山本特紡所ないし被告平和石綿における従業員のじん肺罹患に対する予見ないし予見可能性の程度をみるに、前記第二の一(一)及び第四の二で認定したように、山本特紡所の業種は昭和三二年四月ころから徐々に石綿の紡績加工業に切換えられたが、除じん設備が皆無で浮遊粉じん量が多く、恒常的に時間外労働が実施され、防じんマスクの備付がないなど有害な状態にあつたのであり、前記二2(一)(Ⅱ)(1)の認定事実によると、監督機関が昭和三三年二月一二日の定期監督の際、山本特紡所に臨検し、女子の法定時間外労働について認識していたことは明らかであり、右事実からすると、山本特紡所が石綿粉じんの作業場であり、除じん設備が皆無で浮遊粉じん量が多く、時間外労働が実施され、防じんマスクの備付がないなど有害な状態にあることについても監督機関が右時点で認識しえたことは明らかである。そして監督機関としては、右のとおり、右時点で山本特紡所が未だ粉じん作業に転換してから一年も経過していないこと、前記二2(一)(Ⅲ)のとおり、じん肺罹患者が現れていないことから、具体的にじん肺罹患の蓋然性まで予見しえたとまでいうことはできないが、少くともこのような山本特紡所の有害な状態が相当期間継続すれば、粉じん作業従事者がじん肺に罹患する可能性があることを予見しえたはずであり、右1(一)で述べたじん肺による健康障害の重大性に鑑みると、右時点以降において何らかの有効かつ可能な監督上の措置がとられてしかるべきであつたといいうる。

ところで、監督機関の山本特紡所ないし被告平和石綿に対する監督上の措置をみるに、前記二2(一)(Ⅰ)、(Ⅱ)に認定の事実によると、右時点以降監督機関は山本特紡所ないし被告平和石綿に対して、前記時点において現認した女子の法定時間外労働について是正勧告の指導をしたほか、昭和三五年にじん肺法及びじん肺の予防対策について集団指導を実施し、昭和三六年から昭和三八年にかけて毎年九月ころ労働衛生について集団指導を実施し、昭和三八年一〇月四日定期監督により完全防じんマスクの使用、じん肺健康診断の実施等について是正勧告の指導をし、右指導の結果被告平和石綿が非検定品ながら防じんマスクを備付け、じん肺健康診断の実施をするようになつたことが明らかである。

国の監督機関の監督権限及び監督方法は前記二1(二)のとおりであるが、右の監督機関の監督上の措置について特に臨検監督の措置がその内容、回数、時期等からみて十分なものであつたかについては批判の余地がないとはいいきれないが、(あ)労基法及びじん肺法によれば、そもそも労働者の安全衛生や労働災害阻止の義務の主体は第一次的には使用者であり、監督機関は労働者に対して直接右義務を負担するものではなく単に使用者の右義務の履行を監督するにすぎないものとされていること、(い)労働者は使用者と労働契約関係という継続的な法律関係に立ち、使用者の安全衛生上の義務違反に対して団体交渉その他の団結活動を通じて是正、改善を求めることも損害賠償を請求することもでき、更には労働災害や職業病の被害者については労災保険による補償制度が設けられていること、(う)使用停止命令等の行政権限の行使は、使用者の営業の自由の侵害になりかねず、また罰則でその履行の確保をしているので安全及び衛生に関し定められた基準に明らかに違反すると認められることを前提に、使用者の営業の自由等への影響を配慮して慎重になされるべきものであること、(え)前記二1(二)のとおり、臨検監督の方法は対象事業場に対する労働基準監督官の数等人的な面で制約があり、集団指導の方法に頼らざるをえない面があること、(お)前記第三の一のとおり、じん肺は個人の体質、職場環境によつて差異はあるものの、その発症は相当期間経過後であることからいつて、相対的なものにすぎないとはいえ、通常の労働災害事故に比較して対応に要請される迅速性には自ずと差異があることが考慮されねばならない。これを本件についてみるに、そもそも監督機関が被告平和石綿における従業員のじん肺罹患を具体的な蓋然性のあるものとして予見していたものではないうえ、昭和三五年から毎年のように実施された集団指導によつて被告平和石綿に対し、じん肺法の趣旨、内容はもとよりじん肺の予防対策に至るまでの知識を付与していたのであるから、同被告がじん肺の予防対策として、除じん設備の充実、労働時間の短縮、防じんマスクの備付等の措置をとることの可否は、もつぱら同被告の意思にかかつていたこと、旧特化則による規制値が定められるまで浮遊粉じん濃度の有害性について安全及び衛生に関し定められた基準が明確でなく使用停止命令等の行政権限を行使することが困難であつたこと、前記二2(一)(Ⅰ)のとおり、対象事業場に対し、被告平和石綿を管轄する長野県労働基準局及び篠ノ井労働基準監督署の人的な能力の面で制約があることから一概に臨検監督回数が不足しているとはいえないこと、更にやや遅ればせながら完全防じんマスクの使用、じん肺健康診断の実施等について是正勧告の指導をし、一応の成果もあつたこと等からみて、監督機関が前記監督上の措置以上のことをしなかつたことをもつてその監督権限の行使につき裁量の範囲を著しく逸脱し、著しく合理性を欠いたものということはできない。

(二) 昭和三九年から昭和四四年まで

まず、監督機関の被告平和石綿における原告ら元従業員のじん肺罹患に対する予見ないし予見可能性の程度をみるに、前記二2(一)、(二)の認定事実によると、監督機関が、被告平和石綿が、山本特紡所時代を含めて昭和三二、三年ころからじん肺法の対象となる石綿粉じん作業場であり、徐々に除じん設備を改善してはいるが不十分で浮遊粉じん量が多いこと、時間外労働が行われており、これを隠蔽すべく二重の賃金台帳の作成までしていること、検定合格品の防じんマスクが備付けられておらず、一部従業員はガーゼマスクを着用していること等有害な状態にあること及び同被告の従業員武とよが昭和三九年二月七日じん肺管理区分管理四と決定され、昭和四〇年一月二五日じん肺により死亡し、昭和四〇、四一年ころ武とよ以外に同被告の従業員四名がじん肺管理区分の決定(管理一が三名、管理二が一名)を受け、死亡者一名を含むじん肺罹患者が出現していることを認識していたことは明らかである。そして、監督機関としては、被告平和石綿が右時期より前において山本特紡所時代も含めて六年余の間石綿粉じんの作業場として右時期以上に有害な状態にあつたうえ、このような同被告の有害な状態が右時期以降も相当期間継続すれば、個人の体質、粉じん作業の性質、強度、従事期間の長短によつて異なるとはいえ、右時期より前からの粉じん作業従事者である原告ら元従業員(武とよを除く)がじん肺に罹患する具体的な可能性があることを予見しえたはずであり、右1(一)で述べたじん肺による健康障害の重大性に鑑みると、右時期において何らかの有効かつ可能な監督上の措置がとられてしかるべきであつたといいうる。

ところで、監督機関の被告平和石綿に対する監督上の措置をみるに、前記二2(一)(Ⅰ)、(Ⅱ)、(二)(Ⅰ)、(Ⅱ)に認定の事実によると、昭和三九年秋ころ労働衛生について集団指導を実施し、昭和四一年五月一二日定期監督により時間外労働、局所排気装置の不備等について是正勧告の指導をし、同年女子の法定時間外労働について投書に基づき夜間内偵、強制捜査を実施して同被告、山本社長ほか二名を送検した結果、同被告、山本社長に対し罰金五万円の略式命令があり、昭和四二年一〇月二日労働衛生上の査察指導を実施し、昭和四三年一月一六日定期監督によりじん肺健康診断関係、除じん装置関係について指導し、同年八月一六日災害調査監督の際、時間外労働について是正勧告の指導等をし、同年秋ごろ旧労安則一七三条の適用に石綿関係作業が含まれることを告知し、昭和四四年三月二七日申告監督により合格検定品の防じんマスクの着用につき実質的な安全衛生教育を含めて指導し、同年五月九日再監督により検定合格品防じんマスクの備付の確認と一部補充の指導をしたことが明らかである。

国の監督機関の監督権限及び監督方法は前記二1(二)のとおりであるが、右の監督機関の監督上の措置について特に臨検監督の措置がその内容、回数、時期等からみて十分なものであつたかは疑問の余地なしとしないが、ここでも前記(一)の(あ)ないし(お)で述べたことが考慮されねばならない。これを本件についてみるに、死亡者一名を含むじん肺所見者が出現しているとはいえ、前記二2(二)(Ⅲ)に認定の事実によると、武とよを除いた他の原告ら元従業員はじん肺健康診断の結果正常と診断されているのであるから、監督機関の予見しうる被告平和石綿における原告ら元従業員(武とよを除く)のじん肺罹患の可能性の程度が具体性を帯びているとはいつても蓋然性の程度にまでは至つていないうえ、検定合格品の防じんマスクの備付と着用の徹底というじん肺の予防対策は、もつぱら被告平和石綿の意思にかかることがらであり、他方、時間外労働の例にみられるように、二重帳簿によつて隠蔽を図るという同被告に対して監督機関が是正のためとりうる手段が限られていることからいつて実効を挙げるのは容易ではないこと、浮遊粉じん濃度の有害性についての明確な基準がなく、使用停止命令等の行政権限を行使することが困難であつたこと、対象事業場の数に比し被告平和石綿を管轄する長野県労働基準局、篠ノ井監督署に配置されている労働基準監督官が極めて小人数であつたからたやすく臨検監督回数が不足していると非難できないこと、更に防じんマスクについてやや遅ればせながら、昭和四四年に検定合格品の備付を指導し、かつ着用についての実質的な安全衛生教育を指摘しており、除じん設備についても根本的な改善の指導はないものの部分的な局所排気装置の不備や稼動等についての指摘をし、一応の成果もあつたことからみて、監督機関が前記監督上の措置以上のことをしなかつたことをもつてその監督権限の行使につき裁量の範囲を著しく逸脱し、著しく合理性を欠いたものということはできない。

(三) 昭和四五年から昭和五〇年まで

まず、監督機関の被告平和石綿における原告ら元従業員のじん肺罹患に対する予見ないし予見可能性の程度をみるに、前記二2(一)ないし(四)に認定の事実によると、監督機関が、被告平和石綿が山本特紡所時代を含めて昭和三二、三年ころからじん肺法の対象となる石綿粉じん作業場であり、徐々に除じん設備を改善してきてはいるが、浮遊粉じん量は昭和四六年ころまでは旧特化則の規制値二・〇mg/m3を上回つていたこと、従前から右時期以降にかけて時間外労働が行われていること、検定合格品の防じんマスクが一応備付けられてはいるものの一部従業員は非検定品やガーゼマスクを着用していること等有害な状態にあること、被告平和石綿の従業員のじん肺罹患状況についてもすでに昭和四〇年ころには武とよがじん肺により死亡したほか、四名がじん肺管理区分の決定を受けていること、昭和四五年八月一〇日付で原告高橋二郎及び中島九一がじん肺管理区分管理四と決定され、そのうち中島九一は同年じん肺により死亡したこと、昭和四六年には根津岩子及び田中元女がじん肺により死亡したこと、昭和四七年一一月一日付で原告松本時治ほか一四名がじん肺管理区分の決定を受けた(管理四は三名、管理三は六名、管理二は四名、管理一は一名)こと、昭和五〇年三月七日付で根津知子がじん肺管理区分管理四と決定され、同月一八日じん肺により死亡し、同年五月八日付で原告松本時治がじん肺管理区分管理四と決定されたことを認識していたことが明らかである。そして、監督機関としては、被告平和石綿が右時期より前において山本特紡所時代も含めて一二年余の間石綿粉じんの作業場として右時期以上に有害な状態にあつたうえ、このような同被告の有害な状態が右時期以降も相当期間継続すれば、個人の体質、粉じん作業の性質、強度、従事期間の長短によつて異なるとはいえ、昭和三五年の被告平和石綿設立前後のころからの粉じん作業従事者である原告ら元従業員(ただし、右時期より前に退職した武とよ、田中元女及び中島九一を除く。)がじん肺に罹患し、かつその症状が悪化する具体的な可能性、更には多数のじん肺管理区分決定者が出現した昭和四七年一一月一日以降はその蓋然性があることを予見しえたはずであり、右1(一)で述べたじん肺による健康障害の重大性に鑑みると、右時期、特に既にじん肺による死亡者が四名現われた昭和四六年、多数のじん肺管理区分決定者が現われた昭和四七年一一月一日を境にして何らかの有効な監督上の措置がとられるべきであつたことは明らかである。

ところで、監督機関の被告平和石綿に対する監督上の措置をみるに、前記二2(三)(Ⅰ)、(Ⅱ)、(四)(Ⅰ)、(Ⅱ)の認定事実によると、昭和四五年四月衛特事業場に指定して集団指導を実施し、同年五月二七日右指定に基づく定期監督により時間外労働関係等について是正勧告の指導をするとともに除じん設備関係、じん肺健康診断関係等について指導し、同年一〇月八日有害物取扱事業場に対する一斉監督を兼ねて右指定に基づく定期監督により時間外労働関係、じん肺健康診断関係のほか、防じんマスクの着用の徹底等につき指導し、昭和四六年四月衛特事業場に指定して集団指導を実施し、同年四月二〇日右指定に基づく定期監督により除じん設備増設の確認とじん肺健康診断の調査と指導をし、同年九月一三日特定化学物質等取扱事業場に対する一斉監督指導により、粉じん濃度の調査と改善を指導し、昭和四七年四月二五日衛特事業場に指定し、同年六月集団指導を実施し、同年九月一二日右指定に基づく局署合同監督により粉じん濃度の確認と精紡機につき局所排気装置未設置を理由に変更命令をしたほか、局所排気装置の一部改善、二次粉じん発散防止、じん肺健康診断関係、検定合格品の防じんマスク着用等について指導し、同年一一月集団指導の結果同被告から安全衛生改善計画の届出と改善融資を受ける旨の認証願が提出され、これを認証し、昭和四八年三月二三日右指定に基づく局署合同監督により除じん設備関係等について指導し、昭和四八年衛特事業場に指定し、同年五月集団指導を実施し、同年六月下旬右指定に基づく定期監督により精紡機一基につき局所排気装置未設置を理由に変更命令をしたほか、除じん設備関係、粉じんの二次発生の防止、検定合格品の防じんマスクの着用等について指導し、同年同月ころした衛生管理実施計画の指導に基づいて被告平和石綿が安全衛生融資制度を利用して四〇〇万円を借受け、右計画に基づく工事に着工した事実があり、同年一〇月一一日右指定に基づく定期監督により右工事の確認と局所排気装置の点検等について是正勧告の指導をし、昭和四九年四月衛特事業場に指定し、集団指導を実施し、同年九月一〇日右指定に基づく定期監督により前記除じん設備改善工事完成の確認、粉じん濃度の調査、確認とじん肺健康診断関係、時間外労働関係、防じんマスク関係、除じん設備関係等について指導し、昭和五〇年一〇月二日定期監督により混綿機前等につき局所排気装置未設置を理由に変更命令をしたほか、じん肺健康診断関係、局所排気装置関係、検定合格品の防じんマスクの使用等につき指導したことが明らかである。

国の監督機関の監督権限及び監督方法は前記二1(二)のとおりであるが、右の監督機関の監督上の措置については前記(一)の(あ)ないし(お)で述べたことが考慮されねばならない。これを本件についてみるに前記(一)及び(二)の各該当部分において判示したところに加えて、浮遊粉じん量を減少させるために除じん設備の改善のための指導を安全融資制度の利用も含めて実施してきており、その結果昭和四七年、四八年、四九年と三回に及ぶ除じん設備改善の結果浮遊粉じん量は昭和四六年までと対比すると旧特化則による規制値を下回り、相当程度減少してきたのであり、また、時間外労働、検定合格品の防じんマスクの着用の徹底の点についても毎年のように同被告に指摘し指導してきたことからみて、監督機関が前記監督上の措置以上のことをしなかつたことをもつてその監督権限の行使につき裁量の範囲を著しく逸脱し、著しく合理性を欠いたものということはできない。

四以上のとおり、国の監督機関の監督権限の不行使につき違法性がない以上、その余の点について判断するまでもなく、被告国は、原告ら元従業員に対し、損害賠償義務を負うものではないといわざるをえない。

第七  消滅時効

一被告平和石綿は、原告ら元従業員のうち、中島九一及び武とよについて安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権は、本訴提起前において既に中島九一については退職時から一〇年が、武とよについては退職時又は遺族補償請求時から一〇年が経過したことにより、消滅時効が完成していると主張するので、安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点を検討する。

1安全配慮義務の不履行による損害賠償債務は、本来の債務(本来的給付義務)の填補賠償債務でも遅延賠償債務でもなく、本来の給付義務とは無関係の付随義務違反から生じた損害の賠償債務である。そして損害発生の予防措置の実施を内容とする安全配慮義務と、右債務の不履行によつて生じた損害の賠償債務との間には、本来的給付義務と填補賠償債務あるいは遅延賠償債務との間にみられる債務の同一性を観念しうる関係は存在しない。更に、安全配慮義務は、人の生命、健康などの法益に対する侵害の危険が存在するかぎり常に履行されなければならないものであり、この危険性がなくなればその履行も不要となるものであるから、右義務自体は時効にかかる性質のものではない。

したがつて、安全配慮義務不履行による損害賠償請求権が、消滅時効の関係で本来の債務あるいは安全配慮義務と運命を共にするものであるとして、右請求権の消滅時効の起算点を、本来の債務(本来的給付義務)あるいは安全配慮義務の履行請求可能なときとすべきものではなく、安全配慮義務違反による損害賠償請求権を行使しうる時を消滅時効の起算点とすべきである。

2民法一六六条一項は、「消滅時効ハ権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ進行ス」と定めており、安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点を右の別異に扱うべき理由はないが、右にいう「権利を行使することをうる」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというに止まらず、更に権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることを必要とするのが相当である。

そして、本件は、安全配慮義務違反とこれによる労働者の身体、健康等の法益に対する侵害が継続、累積され、右継続、累積が長期間に及ぶことによつてじん肺罹患、症状増悪に至るのであり、じん肺に罹患しても客観的かつ具体的な症状が現われるまでに相当の期間を要し、しかも、前記義務違反が解消したのちも時の経過につれてじん肺の症状が進行するという事案である。

右にみたような、債務不履行が継続し、その間人格的法益の侵害が継続する本件にあつては、安全配慮義務不履行が止んだ時すなわち当該被害者が粉じん作業から離脱した時が、原則として、右不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点になると解すべきである。しかしながら、前記じん肺の特徴に照らすと、客観的かつ具体的にじん肺罹患による症状が発現してはじめて、安全配慮義務違反による損害賠償の請求が現実に可能となり、その任意の履行がないときには損害を主張立証してその賠償を訴求できることとなるのであるから、安全配慮義務不履行が終了したのに客観的かつ具体的にじん肺罹患による症状が発現した場合には、この時に、右債務不履行による損害賠償請求権の行使が現実に期待できるものとなつたものとして、消滅時効が進行を始めると解すべきである。

二1そこで、これをまず中島九一についてみるに、同人が昭和四二年八月二六日ころ、被告平和石綿を退職したことは、同人の遺族たちと同被告との間で争いがない。しかしながら、右退職時点より以前に客観的かつ具体的に中島九一のじん肺罹患による症状が発現したと認めるに足りる証拠はなく、かえつて前記第三の二9に認定の事実によると、同人は風邪をひき易くなり昭和四三年三月ころから病院で治療を受けていたが、原因が判明せず、昭和四五年三月一八日東長野病院ではじめてじん肺と診断されたことが明らかである。よつて、中島九一については同被告主張の消滅時効の抗弁はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

2次に武とよについてみるに、同人が昭和三八年九月ころ、被告平和石綿を退職したことは、原告和田かつ江と同被告との間で争いがないから、武とよは、遅くとも右退職の時点には被告平和石綿の粉じん作業から離脱していたことになる。そして武とよが個人申請により昭和三九年二月七日付でじん肺管理区分管理四と決定されたことは、原告和田かつ江と同被告との間で争いがないから、遅くとも右じん肺管理区分決定時点において客観的かつ具体的に武とよのじん肺罹患による症状が発現していたことが明らかである。そうすると、武とよについては、安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権は、じん肺管理区分管理四の決定時点である昭和三九年二月七日から一〇年を経過した昭和四九年二月七日の経過により時効が完成したというべきであり、同被告が右時効を援用したことは当裁判所に顕著である。したがつて、武とよの遺族である原告和田かつ江が本訴を提起した日が昭和五二年一二月一〇日である(右事実は当裁判所に顕著である。)以上、同被告主張の武とよに関する消滅時効の抗弁は理由がある。

第八  損害

一包括一律請求について

原告らは本訴においていわゆる包括一律請求をしている。その主張する理由の要旨は、「じん肺は進行性不可逆性の疾患であり、じん肺による被害は微細な体内変化から悲惨なじん肺死に至るまで長期間をかけ漸進的に確実に膨張していくのであり、このような肺被害の特質からみると、①じん肺患者の長期間にわたる闘病生活の被害は基本的には同一であり、それを精神的損害、経済的損害と区別して細分化することは非科学的であり、②被害の現われ方は被害者の家庭環境、経済環境、気質等の差によつて異なるが、その本質は同一であり、③じん肺による被害は各種の被害が相関し、互いの被害を相乗的に深めながら密接不可分に結びついており、その被害を分離し個別的に計量化することは非科学的である。④しかもこのようなじん肺による被害を症状の固定という概念を前提とし、症状固定前と症状固定後と損害計算の方法を区別する積上方式により損害の計算をすることは不可能である。

更に、原告ら元従業員はすべて被告平和石綿の工場において労働した石綿作業従事者であり、その意味で生活環境及び経済環境が類似している。原告ら元従業員のうち、生存患者の現在の症状については相対的に差を見出すことは可能であるが、いずれも長期の寝たきりの療養生活を経て悲惨なじん肺死を確実に迎える運命にあり総体としての被害は同一であり、死亡者についても同様にその被害は同一である。原告ら元従業員の被つた被害を分けるとすれば、現に生存しているか死亡しているかだけである。故に生存と死亡とに分けてそれぞれ一律請求をする。」というにある。

しかしながら、損害額の項目を財産的損害、精神的損害に区別せず、これを全体的、総体的にとらえ、一体的に損害額を決定しようとする包括請求の考え方は、損害の把握、算定の方法として真摯に検討すべきものであるが、損害を金銭的に評価した額につき、甚大ではかり知れない損害の一部であるとして原告らが相当と思料する金額を提示しこれを認容せよと主張するにとどまるのでは、従来裁判官の自由裁量にゆだねられてきた慰藉料額の算定に対する批判(いかなる事実をどのように斟酌したか曖昧である、額の予想が困難であるなど)を拡大、深刻化するにすぎなくなるのではないかとの懸念を禁じえないから、当裁判所としては、原告ら主張の包括請求の考え方にはにわかに左袒できない。

そこで、本訴における原告らの主張、立証の全体から原告らの意思を合理的に解釈し、原告らの本件における損害の主張を精神的損害に対する慰藉料請求の主張と扱うこととする。

なお、慰藉料額を算定するにあたつては、原告ら元従業員につき、債務不履行の態様、損害の内容、程度等に共通の事由が存することは重視されるべきであるが、原告らが一律請求として主張するように、原告ら元従業員を生存者と死亡者に分けてそれぞれの損害を一律に定めるのは相当ではない。

二慰藉料

これまで認定したところからすれば、原告ら元従業員が被告平和石綿及び被告朝日石綿の安全配慮不履行によりじん肺に罹患する等し甚大な精神的損害を被つたことはあらためていうまでもないことであるところ、既に認定の原告ら元従業員(武とよを除く。)各自の生年月日、被告平和石綿における稼働期間、じん肺の発症から現在に至るまでの経過、今後の見とおし及び家族の状況、被告平和石綿及び被告朝日石綿の責任の程度、その他諸般の事情を考慮して、慰藉料の額は、原告高橋二郎及び高橋次郎については各一八〇〇万円、原告松本時治については一五〇〇万円、根津岩子については二二〇〇万円、その余の武とよを除く原告ら元従業員五名については各二〇〇〇万円をもつて相当と認める(本件は、被告朝日石綿につきいわゆる限度責任ないし量的部分責任を認めるべき場合にあたらない。なお、被告平和石綿と被告朝日石綿の各債務不履行責任が併存するが、共同不法行為に準じて、過失割合や、損害発生への寄与分に応じて負担部分が定まり、求償権が生じると解される。)

三弁護士費用

原告ら(ただし、被訴訟承継人を含む。)が原告らの訴訟代理人に本訴の提起・追行を委任したことは、当裁判所に顕著であり、本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額及び被告平和石綿及び被告朝日石綿の応訴態度等諸般の事情を考慮すると、各認容金額の一割に相当する金額が右被告両名の債務不履行と相当因果関係にある損害と認められる。

第九  相続

武とよを除く原告ら元従業員のうち、既に死亡した松本清美、小山貴一、根津知子、根津岩子、田中元女及び中島九一の六名についての相続関係は、前記第一の一2のとおりであるので、別紙(一)及び(二)の原告別認容金額一覧表(一)及び(二)の「原告氏名欄」記載中の遺族原告は、同表「認容金額」欄記載の請求権をそれぞれ承継したと認められる。

第一〇  過失相殺について

被告平和石綿は、防じんマスク不着用及び喫煙をもつて原告ら元従業員が自己の健康管理、疾病の予防及び増悪の防止措置を怠つた過失にあたるとして、損害賠償の額を定めるにつき斟酌されるべきであると主張する。

しかしながら、右の防じんマスク不着用、あるいは喫煙の事実を過失相殺の事由とすることは、次の理由により相当でない。

すなわち、まず、防じんマスク不着用の点については、前記第四の二1(三)、(五)で認定したように、原告ら元従業員の一部が防じんマスクを着用しなかつたのは同被告がなすべきじん肺教育を怠つた結果防じんマスクによるじん肺罹患の防止効果及び着用の必要性を右従業員らが認識しえなかつたことと、同被告がなすべき作業時間短縮等の作業強度軽減の措置を怠つた結果常時マスクを着用して作業することが困難であつたことに起因する。

次に、喫煙の点について、喫煙がじん肺の発生及び進行に具体的にどのような影響を及ぼすかについてはこれを明らかにする証拠がなく、また仮に何らかの影響をもたらすとしても前記第四の二1(五)に認定のとおり、同被告がなすべきじん肺教育を全く怠つていたことが明らかであるから、この点ももつぱら同被告のなすべかりしじん肺教育の懈怠に帰因するといえるから、責任の転嫁となる過失相殺を認めるのは相当でない。

したがつて、原告ら元従業員には本件損害賠償額につき斟酌すべき過失は存しないというべきであるから、同被告の過失相殺の抗弁は採用できない。

第一一  損益相殺について

被告平和石綿及び被告朝日石綿は、原告ら元従業員及び遺族原告らに対する労働者災害補償給付により損害の填補があつたと主張する。

しかし、労働者災害補償保険法による各労災補償は、いずれも労災事故による労働者の被つた財産上の損害の填補であつて精神上の損害填補の目的を包含するものではないから、原告ら元従業員及び遺族原告らがそれぞれ受給した同法による各給付金はいずれも慰藉料請求権と性質を異にし、これには及ばないものというべきである。また、厚生年金法による各給付金も同様の趣旨による生活保障を目的とすると解するのが相当であり、同様慰藉料から控除されるべきものではない。

よつて、右被告両名の損益相殺の抗弁は理由がない。

第一二  結論

以上の次第で、原告らの被告らに対する請求のうち、別紙(一)原告別認容金額一覧表(一)記載「原告氏名」欄記載の原告らの被告平和石綿及び被告朝日石綿に対する請求は、それぞれ同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年四月一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこの限度で認容し、その余は失当であるから棄却し、右七名の原告らの被告国に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、別紙(二)原告別認容金額一欄表(二)の「原告氏名」欄記載の原告らの被告平和石綿に対する請求は、それぞれ同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する右と同じ昭和五三年四月一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこの限度で認容し、その余は失当であるから棄却し、右一六名の原告らの被告朝日石綿及び被告国に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、原告和田かつ江の被告ら三名に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官秋元隆男 裁判官佐藤道雄 裁判官岡田 信)

別紙(一)

原告別認容金額一覧表(一)

別紙

(三)の

原告番号

原告氏名

認容金額

慰藉料

弁護士費用

合計

高橋二郎

一八〇〇万円

一八〇万円

一九八〇万円

松本時治

二一六六万六六六六円

二一六万六六六六円

二三八三万三三三二円

伊東けさ江

二六六万六六六六円

二六万六六六六円

二九三万三三三二円

松本和久

二六六万六六六六円

二六万六六六六円

二九三万三三三二円

松本晢生

二六六万六六六六円

二六万六六六六円

二九三万三三三二円

塩野実雄

二六六万六六六六円

二六万六六六六円

二九三万三三三二円

松本透

二六六万六六六六円

二六万六六六六円

二九三万三三三二円

以上 七名

別紙(二)

原告別認容金額一覧表(二)

別紙

(三)の

原告番号

原告氏名

認容金額

慰藉料

弁護士費用

合計

2

高橋次郎

一八〇〇万円

一八〇万円

一九八〇万円

9

小山きみ子

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

10

小山大二

二五〇万円

二五万円

二七五万円

11

北原よし子

二五〇万円

二五万円

二七五万円

12

山本武子

二五〇万円

二五万円

二七五万円

13

足立かつ子

二五〇万円

二五万円

二七五万円

14

根津高嘉

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

15

吉原松栄

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

16

根津高三

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

17

根津そ

二二〇〇万円

二二〇万円

二四二〇万円

18

田中初男

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

19

田中守

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

20

小林フミ子

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

21

中島シヅ

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

22

横山定子

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

23

中島康大

六六六万六六六六円

六六万六六六六円

七三三万三三三二円

以上 一六名

別紙(三)

原告別請求金額一覧表

原告

番号

原告氏名

請求金額

損害額

弁護士費用

合計

1

高橋二郎

三〇〇〇万円

一五〇万円

三一五〇万円

2

高橋次郎

三〇〇〇万円

一五〇万円

三一五〇万円

3

松本時治

四六六六万六六六六円

二三三万三三三三円

四八九九万九九九九円

4

伊東けさ江

六六六万六六六六円

三三万三三三三円

六九九万九九九九円

5

松本和久

六六六万六六七〇円

三三万三三三五円

七〇〇万〇〇〇五円

6

松本晢生

六六六万六六六六円

三三万三三三三円

六九九万九九九九円

7

塩野実雄

六六六万六六六六円

三三万三三三三円

六九九万九九九九円

8

松本透

六六六万六六六六円

三三万三三三三円

六九九万九九九九円

9

小山きみ子

二五〇〇万円

一二五万円

二六二五万円

10

小山大二

六二五万円

三一万二五〇〇円

六五六万二五〇〇円

11

北原よし子

六二五万円

三一万二五〇〇円

六五六万二五〇〇円

12

山本武子

六二五万円

三一万二五〇〇円

六五六万二五〇〇円

13

足立かつ子

六二五万円

三一万二五〇〇円

六五六万二五〇〇円

14

根津高嘉

一六六六万六六六六円

八三万三三五〇円

一七五〇万〇〇一六円

15

吉原松栄

一六六六万六六六六円

八三万三三五〇円

一七五〇万〇〇一六円

16

根津高三

一六六六万六六六八円

八三万三三〇〇円

一七四九万九九六八円

17

根津そ

五〇〇〇万円

二五〇万円

五二五〇万円

18

田中初男

一六六六万六六六六円

八三万三三三三円

一七四九万九九九九円

19

田中守

一六六六万六六六六円

八三万三三三三円

一七四九万九九九九円

20

小林フミ子

一六六六万六六六六円

八三万三三三三円

一七四九万九九九九円

21

中島シヅ

一六六六万六六六六円

八三万三三五〇円

一七五〇万〇〇一六円

22

横山定子

一六六六万六六六六円

八三万三三五〇円

一七五〇万〇〇一六円

23

中島康大

一六六六万六六六八円

八三万三三〇〇円

一七四九万九九六八円

24

和田かつ江

五〇〇〇万円

二五〇万円

五二五〇万円

別紙(六)

平和石綿工業株式会社被災労働者に対する労災補償給付状況 (昭和59年8月支払期分まで)単位円

区分被災者名

受給権者氏名

続柄

死亡

年月日

(失権年月日)

療養

補償

休業

補償

休業

特別

支給金

傷病年金

長期を

含む

傷病

特別

年金

傷病年金

療養補償

遺族

補償

年金

遺族

補償

一時金

遺族

特別

年金

遺族

特別

支給金

葬祭料

就学等

援護費

高橋二郎

同左

本人

600,288

976,818

322,408

8,705,828

1,650,336

2,909,580

15,165,258

高橋次郎

同左

本人

1,013,082

603,936

0

5,955,447

1,200,058

4,971,410

13,743,933

松本時治

同左

本人

392,974

1,147,908

308,616

6,953,463

1,325,765

1,405,802

11,534,528

松本清美

同左

本人

54.1.24

4,276,976

929,641

307,912

1,129,929

10,502,466

17,146,924

松本時治

3,584,263

608,021

2,000,000

224,083

6,416,367

小山貴一

同左

本人

58.2.17

3,770,448

839,040

281,680

1,696,235

418,297

8,508,142

15,513,842

小山きみ子

41,433

10,449

605,908

33,266

3,000,000

265,100

3,956,156

根津知子

同左

本人

50.3.18

212,680

166,428

28,088

407,196

根津高嘉

131,400

131,400

根津高三

長男

(56.12.19)

2,812,746

360,134

1,000,000

258,000

4,430,880

根津そ

1,045,450

177,300

21,000

1,243,750

根津岩子

本人

46.4.5

0

根津そ

3,484,850

434,910

83,100

4,002,860

田中元女

同左

本人

46.6.7

195,426

195,426

田中聖

(55.12.24)

3,113,376

278,546

645,000

4,036,922

田中健二

(59.4.2)

1,812,007

306,639

288,000

2,406,646

田中由太

(59.8.25)

102,125

17,300

83,100

7,000

209,525

中島九一

同左

本人

45.10.12

139,312

147,359

0

286,671

中島シヅ

4,731,638

709,457

61,460

288,000

5,790,555

武とよ

同左

本人

40.1.25

111,353

120,211

0

231,564

武かつ江

長女

403,970

24,238

428,208

10,517,113

5,126,767

1,248,704

24,482,335

4,604,905

28,297,400

21,292,363

403,970

2,925,573

6,000,000

872,481

1,507,000

107,278,611

別紙(七)

健康管理の区分

じん肺管理区分

管理一

管理二

管理二

管理二

管理三

管理三イ

管理四

管理四

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